あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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65年前の私たちの戦場体験を放映保存する
元兵士の連絡所


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     戦場体験史料館内・元兵士の連絡所

戦場体験史料館までの道順
こちらはゴールデンウイークまで開催中のイベントです。
今日もフロアレクチャーがあるようです。

春の企画展
「戦傷をのり越えて描いた日々~水木しげる・上田毅八郎の軌跡~」


会期: 平成29年3月7日(火)~5月7日(日)
会場: しょうけい館1階
入場料: 無 料
開館時間: 10:00~17:30(入館は17:00まで)
休館日: 毎週月曜日(祝日は開館・翌平日閉館)


■関連イベント■

【水木と上田の証言映像上映】

日時: 会期中毎日 10:00~17:00
10:00~、12:00~、14:00~、16:00~
※3/11(土)14:00~閉館まで上映休止
場所: 1階証言映像シアター
内容: しょうけい館が収録した水木しげる夫妻と上田毅八郎の証言映像を上映します。

上田毅八郎
「がむしゃらに生きて、描く」(18分)

武良茂(水木しげる)・武良布枝
「武良茂(水木しげる)にとっての戦傷」(20分)

武良茂(水木しげる)・武良布枝
「水木さんとともに歩んだ“ゲゲゲの女房”」(20分)

【フロアレクチャー】

日時: 3月18日(土)、4月8日・22日(土)、
5月6日(土)14:00~14:30
内容: 学芸員が企画展の展示解説をします。
*フロアレクチャー限定で、7mにも及ぶ水木しげるの「人生絵巻」全巻がご覧いただけます。
その他: 無料・申込み不要
ゴールデンウイークが近づいてきたので、なんとなく都内の平和イベントなどチェックし始めています。
なんとなくであって、あんまり進んではいませんが。
新宿の平和祈念展示資料館を見てみたところ、もちろん特別企画があるのでした。
ちょっとお知らせしておきます。

GW(ゴールデンウィーク)特別イベント 「みんなに伝えたい戦争体験者のおはなし」

◆4月29日(土・祝)◆

11:00上映会
【アニメ】「キクちゃんとオオカミ」(45分)

13:00館内ガイドツアー
学芸員による展示解説(約40分)

14:00語り部お話し会
手塚元彦さん(引揚体験者)
「奉天から幼い妹2人と引揚げ」(約60分)

◆4月30日(日)◆

11:00上映会
【アニメ】「ぼくの防空壕」(45分)

13:00館内ガイドツアー
学芸員による展示解説(約40分)

14:00語り部お話し会
大矢東さん(元兵士)
「戦闘をかいくぐって冬山の逃避行」(約60分)

◆5月1日(月)◆
休館日

◆5月2日(火)◆

11:00上映会
【ドキュメンタリー】
「語らずに死ねるか!無名の元兵士たちの声」(45分)

13:00館内ガイドツアー
学芸員による展示解説(約40分)

14:00上映会
【ドキュメンタリー】「慟哭の証言」(70分)

◆5月3日(水・祝)◆

11:00上映会
【アニメ】「おかあちゃんごめんね」(26分)

13:00館内ガイドツアー
学芸員による展示解説(約40分)

14:00語り部お話し会
遠藤尚次さん(抑留体験者)
「シベリアで亡くなった戦友への想い」(約60分)

◆5月4日(木・祝)◆

11:00上映会
【アニメ】 「おこりじぞう」(28分)

13:00館内ガイドツアー
学芸員による展示解説(約40分)

14:00語り部お話し会
吉田勇さん(引揚体験者)
「ソ連の潜水艦に襲われて~三船殉難事件で見たもの」(約60分)

◆5月5日(金・祝)◆

11:00上映会
【アニメ】「ながさきの子うま」(27分)

13:00館内ガイドツアー
学芸員による展示解説(約40分)

14:00語り部お話し会
加藤正喜さん(引揚体験者)
「平壌での集団避難生活」(約60分)

◆5月6日(土)◆

11:00上映会
【アニメ】
「小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話」 (45分)

13:00館内ガイドツアー
学芸員による展示解説(約40分)

14:00上映会
【ドキュメンタリー】「ひいらぎ」(50分)

◆5月7日(日)◆

11:00上映会
【アニメ】「お星さまのレール」(76分)

13:00館内ガイドツアー
学芸員による展示解説(約40分)

14:00語り部お話し会
成田富男さん(抑留体験者)
「14歳の満蒙開拓青少年義勇軍」(約60分)
日本国憲法施行70周年が近づいています。

70年前の今頃は、地方の首長選挙が行われるとともに、毎日のように次々と法律が制定されていました。

4月5日:都道長官・府県知事・市区町村長選挙。
4月7日:労働基準法公布。
4月14日:独占禁止法公布。
4月16日:裁判所法公布。
4月17日:地方自治法公布。
4月18日:日本国憲法施行の際に現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律公布。
4月19日:民法、民事訴訟法、刑事訴訟法の各応急的措置法、公布。

そして、70年前の今日1947年4月20日には、第1回参議院選挙が行われました。
3月20日公示、4月20日投開票。1か月間選挙期間がありました。
参議院議員は任期6年、3年ごとに半数を改選ですが、このときは議員が1人もいないところからスタートなので、250人全員について選挙が行われました。
そして、当選順位にもとづいて、選挙区ごとに高位当選グループと低位当選グループに分け、低位グループは3年後改選とされます。
参議院は解散がないため、全員を選ぶのも、半数が任期3年なのも、初回ならではの特別な状況でした。
そして、この選挙で最も多くの議席を得たのは、社会党。この辺もなかなか特別感があります。

ちなみに、この時期はまだ貴族院が存在しています。
日本国憲法施行の前日、5月2日まで貴族院が存続し、5月3日から参議院に切り替わります。4月20日の選挙で選ばれた高位当選者の任期満了はきっちり6年後の1953年5月2日です。

選挙から1ヶ月後の5月20日から、第1回特別国会が開かれることになるのでした。
昨日ドーリットル空襲のことを書くのは4月に入ったころから決めていたのですが、大戦中の4月の年表を見ていて気づいたことがありました。
保存の会公式twitterでもつぶやかれていること、山本五十六連合艦隊司令長官の戦死が、翌年の同じ4月18日だったことです。

1943年4月18日、山本五十六長官はニューギニア方面の米軍を迎え撃つことになる将兵たちの激励にラバウルへ向かい、その帰途にブーゲンビル島上空で撃墜されました。
なので、ドーリットル空襲から1年後ということとは、作戦上直接の関係はないのでしょう。
ただ、日本軍の暗号が米軍に解読されていたことが、狙い撃たれた大きな要因であることから、暗号解読が進んだきっかけの1つであるドーリットル空襲の影響が1年後に大きく出た、という面もあるのかもしれません。

1年後のことはまた1年後に、ということにして(本当か?)、1942年4月18日、ドーリットル空襲の当日のことをもう少し見てみると。
この日、マッカーサーが南西太平洋連合軍司令官に就任しています。
日本軍の快進撃により、フィリピンから脱出したマッカーサーが、ニューギニア方面の戦闘を指揮することになります。終戦まで、この地位にありました。
ということで、1年後に山本五十六長官が迎え撃とうとしたニューギニア方面の米軍を指揮していたのはマッカーサーです。

2人の指揮官にとって、4月18日は重要な日だったのですね。
保存の会の聞き取りの対象となるのは、こういう指揮官ではなく、彼らに指揮された戦いに末端で翻弄されるような兵士たちがほとんどなのですが。
ときには、指揮官たちの大事件とニアミスしたような方にお話を伺う機会もあり。その辺のことが、保存の会twitterでつぶやかれていたわけです。
1942年4月18日、ドーリットル空襲。
米軍艦載機による、初の日本本土への空襲でした。

空母エンタープライズ、ホーネットから出撃した16機のB-25が、東京、横須賀海軍工廠、横浜、名古屋、神戸、大阪を空襲。
民間人にも被害者が出ました。
死者87名、重傷者151名(うち後日死亡1名)、軽傷者311名以上、家屋全壊・全焼112棟(180戸)以上、半壊・半焼53棟(106戸)以上。校庭にいて機銃掃射を受けた小学生も含まれていました。
中には積極的に民間人に対する攻撃を行った機もあり、攻撃の後捕虜になった搭乗員のうち3名が死刑となるのですが、それがプロパガンダに利用され、米国内に「日本人を全滅させるべき」といった風潮を生んだという話もあるようです。

当時は日本の勝ち戦の時期で、日本本土へ米軍の攻撃が到達するのは難しく、むしろ日本軍が米国本土への攻撃も行っていたようです。
それに悩まされていた米国としては、厭戦ムードを払うためにも、日本本土への爆撃を行う必要があったということです。
難易度の高い空襲を実行すべく、航続距離の長いB-25を少数編隊で使用した空襲となりました。

対する日本軍の側は、米軍空母の接近を察知しており、警戒に当たってはいましたが、本土への米軍機の到達を翌19日と見越していたこと、高高度でやってくると思い込んでいたことなどから混乱を生じ、ほとんど迎撃の効果は上がらず。
敵味方の誤認や高射砲の破片による周辺への被害などが多発していたようです。
そして、この間に多数やりとりをした軍の通信が、米軍による暗号解読に大いにヒントを与えることになり。MO作戦がポートモレスビー攻略であることも、このとき米軍の知るところとなったようです。

この空襲の衝撃は大きく、日本軍はミッドウェー海戦に向けてより積極的となります。
米国の側では、この空襲をもとにした戦意高揚はだいぶ成功したようであり。
戦局の変化に関わる大事件であったのは確かです。