あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
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バレンタインデーだなあと思ったら、突如頭に浮かんだこの言葉。
世の男子の心の叫びであろうことはさておき、終戦直後に子供たちが米兵にものをねだったという話で出てくる象徴的な言葉です。
試しにネットで「戦争とチョコレート」を検索してみると、物語やアニメのタイトルばかりがヒットするのですが。
中に、質問掲示板で米兵がチョコレートを配っていたのにはどういう意味があったのかというのを見かけました。

・米軍の進駐マニュアルに載っているという説
・米兵に標準的に支給されているレーションにチョコレートの入ったものがあり、あまりそれを好まない米兵が配っていたという説
・道端の猫にエサを与えるのと同じ感覚だったという説
・個々の米兵の善意説

などがありました。
ちゃんと調べれば、占領政策としてあったのかどうかということは出てくるのかもしれません。
また、当時のチョコレート事情というものも、もしかしたら関係あるのかもしれません。

子どもたちの側からすると、敗戦直後は食糧難で、カロリーと甘さの両方を備えるチョコレートを欲するのはわかります。
今でも、非常食となるぐらいですから。

元兵士の話の中でも、上官にチョコレートをもらうエピソードなどあった気がします。
どのくらいの範囲で普及していたものだったのか、歴史的背景として調べてみるとまた時代の見方が変わってくるのかもしれません。
なんとなく象徴的過ぎて当たり前になっていることに、改めて関心を持つことは、時に必要なのかもしれないとも思います。
なんとなく、そういえば今を去ること30年ぐらい前、高校合格が決まったのが今頃だったなあ、と、ふと思い出しました。
高校は若い先生たちが多く、父と母の中間ぐらいの先生が年齢的に上から数えて5本の指に入るというようなところで、受験校で、「高校時代は灰色など生ぬるい、真っ黒になれ」とのたまうような環境だったわけなのですが。

その、父と母の間の年齢ぐらいの英語の先生(今だと74歳ぐらい?)が、授業中の脱線話で、自身の経歴を少し話されていたことがありました。
外語大を出る年、商社を受けたところ、2つの理由で落とされたと。
1つは、視力が非常に悪かったこと。これは、戦後栄養失調だったため、とのことでした。
もう1つは、父親がいなかったこと。戦争で亡くなっていた、とのことです。当時は、戦死だと思っていたのですが、空襲などの可能性もあるというのは、今になって気づきます。その辺ははっきり聞かなかったのか、実際戦死だと聞いたのか?
親父がいないのは自分のせいではなく戦争のせいなのに、それを理由に採用されなかったことが悔しかった、とのことでした。
むろん、そのとき商社に入っていれば、教壇に立つことなどなかったわけで、人生万事塞翁が馬ではあるのかもしれませんが、それはさておき。
1つ目の理由、栄養失調も、父の不在の影響が大きかったのかもしれません。

高校卒業後、正月には先生のお宅にお邪魔して、歴代教え子有志と飲む、という集まりに何度か出たことがありましたが、もちろん「今」の話に花が咲き、在学中に聞いたその話を思い返すことはありませんでした。
それはごく普通で、そうあるべきものなのだと思いますが、今の自分からすると、惜しいことをしたと思ってしまいます。

高校の頃、将来何になるかというのを考えたとき、国連職員というのを考えたのは、小学校の頃からずっと戦争のことが頭の片隅どころでない範囲にあったからで。
その先生のおかげで、在学中は英語の成績はそれなりによかったのですが。
いかんせん、その受験一直線で英語漬けになった故にか大学に入ってからは英語を勉強するのに身が入らず、また勉強しても使いこなせるようにはならず。
条件の1つである大学院卒はなんとかやったものの、語学はまったくのまま受験可能年齢を越えて今に至るのも、また塞翁が馬の途中なのでありましょうか。
先生、誠に申し訳ございません。
2011年のおとといには、ピースあいちに行ったことを思い出しました。
ということで、ピースあいちの企画展を勝手ながら紹介します。

現在は、子ども企画展のようです。今週いっぱいまでです。
「戦争の中の子どもたちと戦争の中の動物たち」

会期:1月24日(水)~2月17日(土)
開催場所:3階展示室
無料でご覧いただけます。

7年前にお邪魔したときも、動物に関する展示がありました。
硫黄島で戦死の栗林中将著の馬の扱い方のような本があったのが、おぼろげながら記憶にあります。
その後、戦争に行った馬のことがご縁で今年の長崎ピースミュージアムでの展示につながるとは、そのときは思いもしませんでした。
長野の信州戦争資料センターが、犬の供出関係の資料を展示されているのも見ました。その辺に関する展示も、愛知で最初に見たのだったと思います。
なんとなく話に聞いていても、それを戦争資料館に足を運んで見るということにはなかなかなく。
戦争をテーマにした資料館自体には行ったことがありましたが、東京の資料館は扱うテーマが違うので、動物関連の展示をじっくり見る機会がなかったのでした。

子どもたちに関する展示になると、空襲や疎開以外の側面を、7年前より意識するようになっています。
今、戦時下の子どもたちの展示を見ると、また違う発見があるのだろうと思います。

2月27日からは「杉山千佐子追悼―「名古屋空襲と戦傷者たち」展」です。こちらも、最近さらに気になるテーマにつながっているので、注目したいと思います。
建国記念の日には、自分が初めて行ったキャラバンを思い出します。
2011年、愛知県へのキャラバンでした。

そのときお話を伺った方のお一人は、ドアを開けたら当時の軍服で出迎えてくださったのでした。
他にも、軍服をいろいろと見せていただき、かなり濃いお話を伺いました。
お話の最中にお昼時になり、奥様が「おうどん」と繰り返されていたのも懐かしいです。
この方も数年前に亡くなりました。

私が、「遺品展」を言い出したのは、この方のことがけっこう大きいです。
この方のお持ちだった軍服などは、亡くなった後どうなったのだろうか、と気になっています。
今もおうちで大事にしまわれているのか、どこかに寄贈されたのか。まさか、処分されたりは・・・と、思うのですが、ご本人がいらっしゃらなくなった今、おいそれと連絡を取りづらい。
ならば、展示への出展を呼びかけてはどうか?そう思っているうちに、まず「フィリピン戦展」を思いついて、事務局メンバーにいきなりメールをし・・・というのがありまして。
それから遺品展の話が出だして、他のなんだかんだの事情を一挙解決するぜ、というので思いついたのが「戦場体験キャラバン展」だったわけです。
遺品展については、私だけが考えていたわけでもなかったのですが。

そういう状況なので、今年キャラバン再強化と遺品展・持ち寄り品展(いまだ仮称もなし)を謳うことになったことに、特別の思いが浮かぶ本日なのでありました。

あの日の名古屋は大雪でしたので、また近々雪が降ったら思い出すことになるのでしょうが。
そろそろ雪は勘弁してほしいところです。
戦場体験を聞きたいという学生さんたちが、来週、保存の会がお世話になっている方のお話を聞くことになっているそうです。
2名の体験者の方にお越しいただいて、学生さんもその場所に行って、朝から夕方までお話をしていただく、ということのようです。
どこの学生さんとか、詳しく聞いていませんが、戦争の話に関心を持って何かしらのアクションをしてくるというのは、応援したいところです。
みんな現地集合の形なので、保存の会から体験者の方の一部送迎を出すことになります。
これからボランティアに入る?という方も参加ということで、ちょっとしたミニ証言会のような様相です。

戦争の話を聞きたいという人は、実はけっこういろいろなところにいるのだけれども、どうしたらいいかわからないものなのかもしれません。
保存の会は、戦場体験を記録するのが主目的のボランティア運営なので、そんなに何にでも貸せる力があるわけではありません。
それでも、戦争の話を聞いておきたいけれども近くに聞ける人がいない、という場合には相談に乗れるかもしれません。
聞き取りを強化する方向のこれから、記録を残すのに参加してくださる方は大歓迎です。

これからまた、保存の会の存在意義が大きくなっていくのかもしれません。