あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
第3回沖縄キャラバンの6月30日(土)の様子です。
メーリングリストに流れたレポートよりお伝えします。事務所当番が当日2班との電話で聞いたことということで、また聞きのまた聞きといった状態です。

◆◆◆

2班は、午前中は那覇市内の大田平和総合研究所へ。(後ほど改めて様子を紹介します)
午後は浦添市。前回もお世話になった琉球空手の道場での聞き取りです。
敗戦時15歳で家族で高峯製糖工場に勤務していた女性の方にお話を伺いました。
現在の糸満市にあった高峯製糖工場は当時沖縄南部のサトウキビが集まるかなりの規模の施設だったそうですが工場・社宅も米軍の攻撃で壊滅的な被害を受け、疎開せず壕にいた人たちも多くが亡くなりました。
証言者の方も壕でお母さんとお姉さんを亡くしておられ、更にそこから逃げる途中はぐれたお父さんはそのまま行方が分からないそうです。
どこに行けば良いか分からず逃げまどう人たちの群が、逃げていく人たちの波と、あちらは駄目だと帰ってくる人たちの波が大きな交差点では四方からぶつかり合って「お祭りのようだった」と言われたのがとても印象に残ったと。
お父さんとはその中で離れたきりで、弟さんと生き残りました。
もう15歳でしたし、疎開して生き残っていた長兄長女がいたので何とかやっていけましたが、もっと幼く孤児になった人たちについても思い起こさせる事の多いお話だったようです。

恩納村に行った1班は、2名の取材のはずが、着くと5名来ることになっていますと言われバタバタ!、結局、手配をして車まで出して下さった長嶺さんご夫妻が、(恩納村は那覇から車で片道1時間半ぐらいはかかるのです)午前中の男性の方が溢れるように話すのを見て、これは5人は無理と判断して下さったらしく、午後は年長の方を優先にお二人の女性のお話を分かれて伺いました。
という事で恩納村も次回再訪が決定です。

メンバー中唯一運転の出来る3班は、早朝便で空港に着くとレンタカーで沖縄市に。
これも沖縄には多いのかと思いますが、サイパン島に家族で移住し米軍上陸を迎えた男性の方に体験を伺いました。
本当はもう一人お約束をしていたのですがその方が行方不明(お留守)!
もっとも一人目の方が別れを惜しんで引きとめられたということで、じっくり時間を使うことができたのはよかったといえるかもしれません。
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第3回沖縄キャラバンの6月30日(土)の様子です。メーリングリストに流れたレポートよりお伝えします。事務所当番が当日2班との電話で聞いたことということで、また聞きのまた聞きと
2012/07/04(水) 16:14:12 | まとめwoネタ速neo