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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
沖縄キャラバン2012で、2月6日(月)に伺った証言の概要です。
ゴールデンウイーク中にメーリングリストに流れていましたので転載します。

◎嶺井徳吉さん(87)
大正十三年生まれ
所属:歩兵第五十九連隊(照7768)砲兵大隊(?)
兵科:野砲兵
戦地:パラオ本島
――――――――――――

○大正十三年五月二十八日、沖縄県生まれ。

・小学校を出てから、畑に行ったり、ヤギの草刈りをしたり、豚を養ったり。
・青年隊にはいって軍事教練をしていた。
・兄が沖縄にいると兵隊にとられるからと言ってサイパンにいた。それにならって自分も南洋に行くことにした。
・南洋興発に応募。

○昭和十五年十二月ごろ、沖縄を船で出港。

・鹿児島に上陸して一週間ほど他の沖縄出身者を待つ。それから汽車で横浜へ。ここから南洋行きの船に乗る。

○昭和一五年十二月三一日、サイパンに上陸。

・姉が大きな料亭で働いていて、居候することになった。
・綿花工場で現地人と一緒に働いた。
・しばらくして、親戚に口を聞いてもらって、パラオ諸島コロールの菊池商店で就職することになった。
・店員が五名いて、四人が沖縄出身。皆良い人だった。
・月給十円で住み込み。夜はトランプをしたり遊んで楽しかった。
・青年団に入って、仕事が終わってからは相撲をしたりしていた。

○昭和十九年、飛行場建設の勤労奉仕に、自分から進んで希望した。

・山から石を持ってきて、それを砕いて敷き詰る。
・南方で捕まえたブルドーザーがあった。下士官が運転して触らせてくれなかった。
・パラオには荷役の朝鮮人がたくさんいて、彼らも勤労奉仕に駆り出されていた。一緒に作業して仲良くなった。
・三千メートルの飛行場で、三分の一もつくらないうちに空襲でやられて作業が出来なくなった。

○昭和十九年七月ごろ、召集令状が届いた。

・パラオ本島の野砲大隊(近藤隊)に入隊。本部付。
・食糧収集とか陣地構築の作業に当たる。
・野砲は分解してかついで山に運んだ。
・はじめは鉄砲も帯剣もあったが、野砲隊には必要ないので歩兵に渡されてしまった。
・高射砲が良く当たったが、陣地に火炎弾が落とされて全滅したらしい。
・島は米軍に包囲されていた。
・ペリリュー島の四回目の逆上陸部隊に選ばれた。
・武装検査の時、先をとがらせて焼きを入れた竹やりを渡された。ボートもないので車のタイヤに沈まないように蔓をまきつけたものに乗って行くはずだった。結局待機しているうちに中止になった。
・それから漁労班に入って小魚採りがはじまった。
・小舟を探してきて、ダイナマイトと手榴弾を使って、飛行機が飛び交う中で漁をした。
・落ち着きがないとやられてしまう。落ち着きがあると大丈夫。
・飛行機がきても逃げたらもうだめ。すぐやられる。光が反射するので水中眼鏡をはずして藻をかぶって絶対動かないでじっとしている。二メートルもぐりこめば機銃弾は当たらない。
・飛行機がこっちにむかってくるのか、少しずれているのかを判断するのが大事。
・班長は熊本出身の石川准尉で班員は五、六名。
・自分はかじ取りで、准尉がダイナマイトを投げていた。気絶した魚をとる。
・リーフにいるメバルなどの小さい魚がとれた。
・大きい魚を渡すと上の人が食べてしまうので、渡さずに自分達で食べていた。
・飢えや栄養失調で亡くなる人がたくさんいた。しかし、漁労班は朝昼晩、煮付け、刺身、揚げ魚が食べれた。そのためにまるまる太って、股ずれが痛くて困った。
・部隊に渡す以外の魚は兵隊がもらいに来てもあげられなかった。もらいにきた兵隊には骨を隠して渡した。

○昭和二十年八月十五日、今日の飛行機は変だねえ、ゆっくり飛んでるなあと思っていたら終戦だった。

・大隊本部にちゃんとした服装で呼ばれて、玉音放送をきいてから大隊長が訓示した。
・「やっと戦争がおわったんだなあ」と思った。喜びというよりも気が抜けてなにもやる気がおきなかった。これからどうしようか、これからどうなるのかということしか考えていなかった。
・連隊本部に集合することになって行ってみると、こんなにいたのかというくらい兵隊が集まった。自分達は肥えていたが、ほとんどの兵隊が栄養失調でまともに歩けなかった。立つのがやっとの人がたくさん。連隊長が挨拶してもそのへんに寝転がったままだった。
・戦争が終わると他の部隊の漁労班も漁をしはじめた。敵機よりも4、50メートル先で漁をする他の漁労班の方が恐かった。目の前でダイナマイトをポコポコ投げる。
・手榴弾が配られて、試してみようと戦友が叩いたら爆発。手はちぎれて目も見えなくなった。すぐ止血して、トロッコで野戦病院に運んだ。声ははっきりしていて、「嶺井くん殺してくれ」と言われたが、何とか一命はとりとめた。

○昭和二十一年二月ごろ、LSTに乗船。

・水だけしかもらえなくて大変だった。

○約一週間後、沖縄上陸。

・戦争で草木もなく、掘り起こされたみたいで真赤だった。なつかしいのを通り越して何とも言えなかった。


●終戦時、陸軍上等兵。
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2012/05/29(火) 04:29:58 | まとめwoネタ速neo