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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
大分・熊本キャラバンの取材初日、4月28日(土)の様子です。
体験者の方の「戦場を語る」思いの強さを感じる報告が、メーリングリストに流れていましたので、転載いたします。

◆◆◆

東京からの来客を心待ちにしてくださる体験者の方は多いものの、今日ほど待ち焦がれられたのは久しぶりの様な気がします。
何しろお約束をした後で「本当に来てくれるか、気は変わっていないか」とお電話、「この話をしなければと思うと私は気が狂ったようになっていて、ちょっとおかしいのかもしれない」と話しておられた倉兼一二(いちじ)さん(92歳)にお目にかかってきました。




大分県日出町(ひじまち)豊後豊岡駅、海が見える小さな駅では、一人だけの駅員さんが窓口でお弁当を広げていて昼下がりのゆったりとした時間が流れています。
そこから一気に山道を車で登った所にお宅はありました。
「これより上には7軒しかない」と奥様。


倉兼さんは海軍第82警備隊で東部ニューギニアのラエへ、そこからシオに転戦するジャングルと山岳地帯で殆どが餓死や病死、凍死。
400数十名の部隊で生き残ったのは数名、兵隊・下士官ではただ1人だけでした。

復員されてすぐ、親友のご自宅にお参りに行きましたが彼の母親から「お前は生きてきたのに何故うちの息子は帰って来ないのだ」と言われます。
部落で4名が海軍に行って戻ったのはただ1人。
戦争に行って帰った2人の兄貴はそこに住み続けたけれど「自分はもうこの部落にはいられなかった。旅の始まり」

1週間後戦友を頼って北海道に入植、その後福岡、大分の開拓地を渡り歩きパラグアイへ移住。
「人のいない所に行きたかった」
「自分は幸せになってはいけないとどこかで思っていた」
大分の牧場もパラグアイの牛乳工場もそれなりに成功したもののある程度軌道に乗ると次の場所に動きたくなってしまう。
「それが戦争の後遺症だと自分で気づいたのは85歳になってから」

85歳で帰国して行った心臓弁膜症の大手術をきっかけに
「自分は何をしてきたんだと思った。自分だけ生かされているのはこの話をするためではなかったのか」
それまで奥様にしか話していなかった体験を書いたり人に話すようになりました。
「あの人は全部戦争でできている、それしかない」と言いながら各地を一緒に歩き続け、今記憶をたどる手助けを隣でしてくれる奥様。

仏壇には御親族の位牌に併せて戦友、同じ部落の戦死者の位牌が並べられ毎日2回読経しておられるそうです。

「戦友が皆死んで神様はいないと思った。日本の神様はいないと思った。どうまとめて貰っても良いが、この事は書いて欲しい」

取材報告は今からまとめます。

◆◆◆

なお、4月29日(日)は、大分・熊本キャラバンは空き日となります。
現地調査等試みるようですが、証言概要にも期待したいと思います。
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2012/04/29(日) 09:00:54 | まとめwoネタ速suru