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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
沖縄キャラバン2012で、2月5日(日)石垣島で伺った証言の概要です。
かつてのマラリア有病地帯方面に車を走らせての取材でした。

◎伊是名米さん
昭和3年生まれ
取材日平成24年2月5日 石垣島


◯1944(昭和19年)10月~3月
石垣小学校で看護実習を受ける
三角巾の使い方、包帯の使い方を習う。

◯1945(昭和20年)3月~終戦
・16歳の時、第28師団第三野戦病院薬剤部へ
・マラリア患者や兵隊の死体が出ると、担架で担いで700m先くらいに運びにいった。途中で機銃掃射があると遺体を捨てて逃げた。
・病棟が6つくらいあった。(一つが20人くらいを収容する。)病棟はマラリア患者でいっぱいだった。
・海軍と陸軍の飛行場があったため、爆撃があった。爆弾が落ちて負傷した患者の病棟は一つ。
・機銃は頻繁にあったが、一度病棟付近に爆弾が落ちて火事になったことがある。その影響で兵隊、患者が飢えた。
・6月1日に軍から住民に非難命令が出る。マラリア患者はその以前から病棟を埋めていた。患者が多すぎて薬を作るのが大変だった。シラミがすごかった。
・マラリアに感染すると、最初は寒気がきて、そのあと痙攣し、腰が痛みはじめる。それから高熱にうなされる。
看護婦も何人も感染した。(伊是名さんも感染)戦後もマラリアに悩まされる人が多く、死者も出た。
・衛生兵の軍曹が機銃掃射で撃たれて死んだ。目ん玉が飛び出ていた。
・終戦は雰囲気で知った。「あぁ、日本は負けたんだな」と思った。日本兵を米軍の船に乗せる作業を手伝った。

◯石垣島虐殺事件
1945年4月、石垣島飛行場を爆撃するために飛来した米軍機が撃墜され、米兵三人が捕虜になった。斬首で殺害後、命令を受け40~50人の兵が杭に縛られた米兵を刺した。(映画『わたしは貝になりたい』のモデルと言われている。)
伊是名さんは兵隊が話しているのを聞いた。「自分は上司の命令でやっただけで、好きこのんでやったわけではない。」
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