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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
沖縄キャラバン2012で、4班が2月4日(土)午後に伺った証言の概要です。
このメンバーが沖縄から帰って3日後には上がってきました。今回のキャラバンの証言概要1番乗りです。
沖縄戦ではなく、沖縄出身で外地の戦場を経験された兵士の方の証言です。


◎酒井勇吉さん(96)
取材日:平成二十四年二月四日
所属:台湾歩兵第一連隊第二大隊七中隊
兵科:歩兵
戦地:海南島~ルソン島~ジャワ島

○大正六年四月十三日、沖縄県生まれ。

・京城師範学校卒業後、北朝鮮で小学校の教員に。
・日本で教員になるより朝鮮で教員をしたほうが待遇が良かった。給料に手当てがついた。

○昭和十五年十二月、台湾歩兵第一連隊補充隊に入営。

・部隊は台北にいた。”第三部隊”と呼んでいた。
・機関銃中隊に配属され、基礎教育を受ける。
・その後七中隊へ。
・幹部候補になれたが、職業軍人は嫌だったので希望しなかった。

○昭和十六年、海南島へ

・二、三カ月討伐。
・中隊規模で討伐に行った。
・時々支那の兵隊が兵舎に夜襲をかけてきた。

○昭和十六年十二月二十二日(?)、リンガエン湾から敵前上陸。

・敵の飛行機が飛んで来たが、ほとんど無抵抗。
・陸軍だったので上陸するまではこわかった。
・どこの部隊よりも早くマニラに入城せよということで、夜も昼もずーっと歩いた。
・勝ち戦で楽な戦争。戦死者もださずに入城。
・行軍がつらかった。・マニラまで二、三日歩いたと思う。
・途中敵の応戦もあったが退けた。機関銃とか大隊砲で攻撃して、その後に突撃する。
・道端に戦死したアメリカ兵が倒れていた。
・あんまり戦死者はいなかった。
・マニラまで二、三日歩いたと思う。
・フィリピン人はあまり好意的ではなかった。
・マニラ入城後、バターンを攻略する部隊と交代してジャワ島に行くことになった。

○昭和十七年三月一日、ジャワ島クラガンに敵前上陸。

・オランダ軍の抵抗はなかった。
・ジャカルタまで行軍。
・インドネシア人は非常に好意的。フィリピンとは正反対。
・オランダ降伏後、シンガポールに行くということでジャカルタに待機していた。
・ジャワはいいところ。よく遊びに出かけた。
・慰問の手紙で沖縄で苦戦していることを知っていた。

○昭和二十年八月、玉音放送を聞く。

・「生きて帰れるな」と思った。
・たくさんあった食糧を住民に配っていた。

○昭和二十年、名古屋上陸。

・二、三カ月名古屋で沖縄行きの船を待った。

○昭和二十一年、復員。

・沖縄に帰ると家も何もない。家族は全滅。
・親戚の人が港に迎えに来ていて、その人の家で世話になった。

●終戦時、陸軍伍長。
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