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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
山陽キャラバンが2011年12月13日、福山で伺った証言の概要です。

◎横橋保孝(よこはしやすゆき)さん

1922(大正11)年12月26日生まれ
当時の本籍地 広島県
陸軍 歩兵(機関銃)

1941(昭和16)年 旅順師範学校に入学
〇祖父が酒飲みで借金を作り父は16歳でハワイに出稼ぎに出かけた。
 そうして作ったお金を自分が中学校(福山誠之館中学)に行くのに使って仕舞ったらしいというのは勘だけれども分かっていた。
 旅順師範学校は授業料が不要で全寮制だった。
〇広島師範学校にも前年大陸科が出来多くの先輩が進学したが、抜け出してうどんを食べに行く話などばかりしている。
 それは間違いじゃ、こういう所へ行くのは嫌だと思った。
〇旅順師範学校の知らない人から檄文が来た。
 「大東亜共栄圏の礎石を作ろう」とありそれは自分の考えにぴったりだった。
〇中学校5年生の時紀元2600年を祝うインターミドル(現インターハイ)があり広島県代表の剣道部の大将となったため、広島師範学校から是非我が校に進学するよう中学に働きかけがあり、中学の先生から「受けるだけでいいから受けてくれ」と頼み込まれたので、仕方なくこちらも受験し合格はしていた。

○学校は理想的。ロシア製の地下室付きの寮
○学生は日本人のみ
 中卒よりは農業高校出身者が多く、長野県出身者が多かった。
○教科書を殆ど使わず岩波の単行本を教科書にする先生が多い。
 良い映画を「見とけよ」と紹介してくれる。
 抜けて出る必要がない明るくて自由な雰囲気。
 戦争や大満州についてと言った深い授業はなかったが、心理学の先生が「一君万民の論理」という自著を説いていた。
○炊事員になり仕入れ係を務めていた。
 先生達が上前をはねているのではないかと先生と寮の代表間で激しい団体交渉があり(実際に事務の汚職は少しあったのだが)、生徒が自分でやるようになったためだった
○旅順には日露戦争の表忠塔が立っておりそこに一人で小指を切って血判を押して帰ってきた。
○夏休みに開拓地で1ヶ月間の教育実習
 生活することが一番なので子供と馬鈴薯やかぼちゃややとうもろこしを作る。
 授業をしたのは覚えていない。鉄棒を作ったりした。
 送られるのは開拓地としては余裕のある所に限られていた。

1942(昭和17)年12月頃 徴兵検査
 12月生まれは前年まで翌年廻しだったがこれが無くなった。
○冬に一度帰国、もう戻れないと覚悟していた。
 親父は病気で寝ており、母は何も言わず涙ばかり流していた。
○付属小学校での3ヶ月の実習
 その時の先生が就職するとき駅まで見送って「死ぬんじゃないぞ」と目の色を変え睨みつけるように言った。
 その頃そんなことを言って送る人はいなかったから、僕は「はあっ?」と「この人は何を言うんだろう」と思っていたけれど、後で感化された。
○就職の際も、僕は「開拓地に入って苦しい目をしながら子供達とやらなければいけない」と思っていたが、彼は「はよから入っちゃダメだ」。「何でですか」と言ったら「今に分かる」と言った。
1943(昭和18)年8月 旅順師範学校卒業
 奉天で就職

1944(昭和19)年3月10日 第2国境守備隊に入隊(現役)
 綏芬河(すいふんが)へ
 部隊の入口に「私的制裁の撲滅」と看板がかかっており実際に守られていた。
○5月、綏芬河の神社のお祭りに剣道の試合に出て優勝した。
 煙草の大きな箱を貰い班長に渡した。
 その時親父が死んだ電報を受け取った。
 帰るんなら何なりしてやるぞと言われたがお別れをしてきたからと帰らなかった。

1944(昭和19)年9月~1945(昭和20)年4月 保定幹部候補生入学 12期生
○幹部候補生を当初志願しなかった。
 班長に呼ばれストーブの側で裸になって肩をもませる。
 「僕は幹部にならんでも一兵卒でも国にようけいご奉公が出来ると思います」 
 「分からんじゃないが中隊長が困るんよ。資格を持っとるもんが受けんと中隊の恥になる」と説得された

1945(昭和20)年4月 西部2部隊(広島)に転属
○保定の教育係の少尉は「お前は教育係で残ると思ってたがお別れじゃのう」
 「お前ひとりごだったじゃろうが」と言われて、軍隊でもそんなことを考えるんだと思った。
 この教官は「貴様ら死について考えたことがあるか」と言って説明もせず暫く黙った事があったが、その時は「何を言いよるんだ、死ぬのは当たり前じゃないか」と思った。
 立派だったと思うようになったのは後のこと。
○幹部候補生2千名が行き先を知らされず貨車に。
 学校を出てすぐ学校に空襲があったが戻らなかった。
 南方に行くと思っていたら弁当を受取に出た者が、奉天だ、内地に帰るんだと分かった。
○広島の部隊ではガス兵の訓練をしていた。
 師団長が「沖縄では日本の塹壕には何時まで経っても電気が通らないが、米軍の塹壕には作ったその日に電気が通る」と言った。
○広島のキリンビアホールに行くと昼に将校にはビールの券が出る。
 “軍隊ボケ”をしてしまって将校が集まって酒を飲んでいるのは気にならない。

1945(昭和20)年6月 新設の231師団(大国兵団)に転属
1945(昭和20)年7月 人丸神社に移動
○召集兵が殆どで本土防衛を目的とした。
 小郡で軍旗を受け、行軍で山陰の人丸に行軍で移動。
 打ち出の小槌をマークとして軍服に付けた。
○原爆のニュースは全く入っていなかったが、広島出身の経理の見習い士官に山口の町中で会った。
 「わしはいけんな」と言って腫れたような顔をして、髪をなでるといっぱい抜ける。
 糧秣の算段に行って自宅に泊まり被爆をしていた。
 その日の午後人丸の病院に入院したが、5時間後わしが帰ったらもう死んでいた。

1945(昭和20)年8月15日
 当日は部隊の一期検閲の日であった。
 師団長が部隊に来たので師団長と連隊事務所の連絡係になっていた。
 朝、急に情報係もするように言われ下士官を2名付けてくれる。
 「今日は重大情報があると言う民間情報があるからラジオでも聞いておりましょう」と下士官が言うので散髪屋のラジオを聞いて貰い、自分は昼まで師団長に付き添った。
 散髪屋にはようけ集まったけど「戦争が終わった」と言う者と「もっとやれ」と言ったという者が半々。
 軍からの命令があるだろうからと昼間は師団長には言わなかった。
 公用兵が小郡で敗戦の号外を貰って帰ってきた。
 師団長が酒盛りをしている所に持っていったが、「貴様フランスが負けたのを知っとるか、フランスは情報で敗れたんじゃ。民間の情報で戸惑うんじゃない!」と怒られて腹がたった。
 その頃新聞社が勝手に情報を流すような事はなかった。
 師団長はそのまま酒を飲み、真夜中12時過ぎに師団司令部から師団長に帰ってこいと言う連絡が来た。
 併せて命令受領の将校を毎日一人寄越せという命令で、担当になる。
1945(昭和20)年8月16日
 山口の師団司令部に行くと参謀から「師団長はどうしている」と聞かれた。
 「夕べ12時過ぎには乗用車に乗って帰られました」
 参謀は「師団長が帰られないのでわしから命令する」
 その後は誰の命令か分からないまま毎日命令が出た。
 「兵器を隠せ。何処でも良い、山中に穴を掘ってでも良いし、海岸に埋めても良いし井戸の中でも良い。逃亡兵は逃亡兵として扱う」
 1週間もしないうちに「敵の潜水艦が仙崎に上陸兵を降ろすので迎え撃つ。隠した兵器を全部出して応戦する。12時を期して師団司令部から命令を出すので待機せよ」
 厚狭駅まで戻るとプラットフォームに沢山兵隊が居て、打ち出の小槌を付けた大国兵団。
 12時を期してという命令をもっているのを知らせようかと指揮官を捜すが、指揮官はおらず「小隊長から帰ってもよろしい」と言われたという。
 話をした人間が郷里の人間だったので遺書を走り書きことづける。
 12時まで待っても何もない、1時まで待っても何もない。
 翌日師団司令部に行っても何もない、知らん顔をしている。
 その後も師団長や連隊長を見ることは1度も無かった。
 最後の命令受領の折
 「これも命令だ、今まで見習い士官だった者は全部少尉に任官を命ずる」
 初めて一同が反攻をし「今さら馬鹿げているじゃないか」と言うと参謀は「分からんじゃないが将校の数が少ないようではその国の国力に影響する」

海田市(かいだいち・広島県安芸郡)の憲兵連隊に転属。
 糧秣倉庫に入ったがもう空っぽで大豆がこぼれているだけ。
 連隊付きの将校が暇があるので訓練をやれと命令が出たが、兵は蹴って、豆を煎って食べているだけ。
1945(昭和20)年9月17日 枕崎台風
 大野駅と玖波駅間のトンネルが土砂で潰れたのを復旧。
1945(昭和20)年10月10日 復員
 村のお祭りの日で仔牛を献上し皆で食べた。

※戦後もアメリカの物量に負けたと思っていた。
 パチンコが流行りだしたとき第3次世界大戦への準備で鉄を確保しているんだと思ったぐらい。
 戦争への考え方が変わったのは戦後30年以上経ち中国に旅行をしてから。
 軍国主義は今でも身体のどこかにくっついている。
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