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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
8月27日(土)の福島キャラバンの様子が、一緒に行ったもう一人のメンバーにより、メーリングリストに流れていましたので、転載します。
どうもブログを書いていると、メーリングリストに流すということを忘れがちになります。
ブログの方でも当日簡単に報告していますが、同じ旅の報告も書く人が違えば雰囲気が変わるものです。同じ戦場でもほんの数cmが運命を分けるというのとはだいぶ重みが違いますが、同じ部隊の方のお話を複数伺うことでその戦地の全体がより明らかに浮かび上がる、というのを想像していただければと思います。

◆◆◆

棚倉は新幹線の新白河からバスで40分、少し雨に煙った車窓は、しばしば屋根にブルーシートがかかっている事を除けば一面に実り間近の田園が広がっている穏やかな風景です。

体験者の紹介と送り迎えを繰り返してくださった衣山さんは、朝5時からソフトボールの試合をしてきたというのですが、「こちらのご出身ですか」と伺ったら「フィリピンです、敗戦時小学校5年生でした」逆算してかなり驚きました。
ご出身も理由なのか、長く地元でお茶を飲みに上がっては体験を聞いてこられたそうですが、かなり珍しいお話を
あの人もこの人も亡くなったと数えながら、でも音声の記録はお持ちとの事でした。

昨日午前は吉田義信さん。
ソ連侵攻時、大人数の朝鮮北部出身の兵隊を連れていたため列車に乗せて貰えず、牡丹江の原隊追及が遅れたのが命を救いました。
その後の沿海部での抑留体験もひょうひょうとした語り口で話してくださいました。

午後は大野正男さん。
ニューギニア・マノクワリの飛行場設営隊は、飛行場工事のため食糧確保の畑造りが出遅れた事が600名中約500名の死を招きました。
糧末倉庫の衛兵が殺されたり、隣の部隊の食糧を盗もうとした兵隊が撃たれたりで部隊長も更迭になった状況を、何度も涙を溜めながら話してくださいました。
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