昨日、保存の会メンバーから、聞き取りに行ったメールがとどきました。
滋賀県草津市にて。関西出身のメンバーが帰省に合わせて行ってきたのです。
ざっくりと証言の一部を伝えてきたので、だいたいのところを書いておきます。転載するほうがいいのかもしれませんが、まとめなおしたものです。
102歳のビルマの体験者の方。
1942年に東京農大を繰り上げ卒業。
10月に鯖江の歩兵119師団に入ってすぐ、レントゲンで異常が見つかり陸軍病院へ。
しかし、どうせいずれ戦地に行くなら知り合いと一緒がいいので、願い出て1944年3月、ビルマへ。
数十人単位でばらされて各部隊につけられる。
相手の国民党軍は米軍の最新鋭装備、こちらは銃弾も足りない。
一山陣地ずつ玉砕していき、今晩は自分たちと思った日に撤退命令。
二十数人で走ったが、ご本人はがけ下に40メートルほど転落。
ジャングルシダの上に落ち、気を失ったが、気づいたら動けた。
2日ほどさまよい、力尽きる寸前、本隊に合流。
崖の上で戻った人はいない。
その後も3回ほど紙一重の体験がありつつ生還。
とてもお元気な方で、ご自身でお茶請けを買いに行っておられたそうです。
来週には沖縄戦展ですが、機会をつくって聞き取りもしている保存の会です。
滋賀県草津市にて。関西出身のメンバーが帰省に合わせて行ってきたのです。
ざっくりと証言の一部を伝えてきたので、だいたいのところを書いておきます。転載するほうがいいのかもしれませんが、まとめなおしたものです。
102歳のビルマの体験者の方。
1942年に東京農大を繰り上げ卒業。
10月に鯖江の歩兵119師団に入ってすぐ、レントゲンで異常が見つかり陸軍病院へ。
しかし、どうせいずれ戦地に行くなら知り合いと一緒がいいので、願い出て1944年3月、ビルマへ。
数十人単位でばらされて各部隊につけられる。
相手の国民党軍は米軍の最新鋭装備、こちらは銃弾も足りない。
一山陣地ずつ玉砕していき、今晩は自分たちと思った日に撤退命令。
二十数人で走ったが、ご本人はがけ下に40メートルほど転落。
ジャングルシダの上に落ち、気を失ったが、気づいたら動けた。
2日ほどさまよい、力尽きる寸前、本隊に合流。
崖の上で戻った人はいない。
その後も3回ほど紙一重の体験がありつつ生還。
とてもお元気な方で、ご自身でお茶請けを買いに行っておられたそうです。
来週には沖縄戦展ですが、機会をつくって聞き取りもしている保存の会です。
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