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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
昨日は祖父の命日でした。
数日前、職場の方のおじい様が亡くなられたということがあり、うちもこの時期だったな、と意識していたのですが。昨日の夕方、母から「南無阿弥陀仏を何回か唱えておいてくれ」という電話がかかっていました。
実際、何回か唱えました。
昨年も、祖父の命日について書いており、それでタイトルに「2」をつけました。こういうときには、全国キャラバンが2年目に入っているのを改めて実感します。

昨年が3回忌だったので、次はしばらく間が空きますが、家族は命日を意識しているものなのだということを確認することにもなりました。
戦死された方のご遺族にとっては、命日はさらに忘れられない日なのだと思います。戦後どれだけ時が過ぎても、戦争中のその日のことを思わずにはいられない。
その方の死とセットで、戦争というものがついてくるのだともいえそうです。
正確な命日がわからない場合もあり、そういう方にとっては、終戦の日や大きな空襲が起こった日、平和祈念の日等が、命日の代わりを果たすのでしょうか。
終戦とともに戦争が終わるわけではないのだということは、ご遺族や生還された体験者の方のお話を伺うたびに感じることです。
しかし、戦後生まれの大多数の人にとっては、あの大戦は自分たちの生活とは関係のない世界の話のように、意識されることさえないのではないでしょうか。戦場体験放映保存の会に思いっきり関わっているような私たちの方が、おそらく特異な存在なのでしょう。
それを思う時、戦場体験を残すことの意味を、改めて考えることになります。

まあしかし、個人的見解として言うならば、この先の時代には家族が戦死した日など存在しない方がよいのだと思います。
2度とそういう日がこない世界の中に、あの大戦の体験証言が継承されていくというのは、なんだか不思議な気もします。
「戦争」というものが記録の中にだけ存在することになったとき、その記録を見て、それをリアルに想像できるように。
私がこういう活動をしているのは、もしかしたら、そういうことをどこかで考えているからなのかもしれません。
あくまで、個人的な考えです。
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コメント
この記事へのコメント
昨年の例の朝日新聞の「人脈記 語り継ぐ戦場」で最終回に上丸さんが「先の戦争の記憶はいつまで語り継がれるだろうか。(中略)それはおそらく次の戦争が始まるまでだろう」と書いておられましたね。私たちはそういう時に不確かで、時にとても力を持つものを遺そうとしているのだと思います。
身内の乱入失礼しました。
2011/05/28(土) 22:19 | URL | 四国チームリーダー(など) #-[ 編集]
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