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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
南九州チームが5月4日(水・祝)に伺った証言の概要です。
さつま町高齢者クラブ連合会の4人の体験者の方の3人目です。

◆◆◆

◎久保成夫さん
大正12年9月26日生

昭和17年12月10日 志願
第58師団96連隊
鹿児島から九江へ。訓練。

昭和18年
移動場所の記憶はなく、とにかく歩いた記憶しかないそうです。中隊についた初年兵30名のうち、半分が落伍し、他の兵士もマラリヤにやられ、戦闘をしていないのに、人が死んでいき、とてもつらかった行軍としか覚えていないそうです。

昭和19年6月 衡陽城攻略作戦参加
昭和19年8月 桂林掃討作戦参加
昭和20年   抑州に行軍中終戦

【概要】
工場で働いていましたが、肌に合わず、軍隊に志願します。とにかく、行軍はしんどく、それ以外話すことはない、といってました。
昭和19年の衡陽攻略は、夜間に陣地を作り、2日間で準備を完了させました。
歩兵砲担当だったので、攻撃命令とともに直接照準で目標に砲撃を加えました。1日で80発を発射しました。
昼の戦闘が終わると、夜間攻撃に歩兵は移りました。久保さんは、砲の監視を命じられて待機していましたが、小銃弾が激しく飛んできて、とてもたっていられず、砲の下に潜り、気がつくと寝てました。
朝になると夜間攻撃に参加した兵士が戻り、目が覚めました。そうしてまた砲撃をはじめ、昼頃に友軍機が3機きて攻撃、目標の屋根から白旗があがり、攻撃は静まりました。白旗とはある意味こんなに力の強いものかと感じました。
桂林攻略は予備を命じられ、陥落と同時に岩山の掃討作戦に参加しました。洞窟に敗残兵がおり、手榴弾を投げられたそうです。
やがて、洞窟から追い出し、5人の敵兵を捕虜にしました。そして、皆の前で銃剣で突いてその場で殺しました。
処刑が終わり、抑州に行軍中に終戦の知らせを聞きました。
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