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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
南九州チームが5月4日(水・祝)に伺った証言の概要です。
さつま町高齢者クラブ連合会の4人の体験者の方のお2人目です。

◆◆◆

◎堀敏郎さん
大正11年10月7日生

昭和18年2月11日 
現役 漢口第一陸軍病院配属 軍直轄の衛生兵に。

昭和18年9月 
教育終了、事務の仕事。
病院の電話交換手をしたり、病院のラッパ手も勤めた。
何でもやらされた。

昭和18年末
応山の第三師団の野戦病院が移動したことに伴い、漢口第一陸軍病院から20名ほど補填にいく。堀さんも補填要員として応山へ。

昭和19年初頭
予備役の衛生兵下士官候補生教育。
武昌の陸軍学校で教育。
教育後、漢口第一陸軍病院に戻り、死亡係を拝命。

昭和20年8月15日 終戦
8月20日 武装解除 中国軍管轄で病院業務継続。

昭和21年5月 病院施設引渡し。
7月29日 復員完了。

【概要】
軍直轄の衛生兵として「呂第1639部隊」にて漢口第一陸軍病院に配属。戦前に医者であった叔父さんのお手伝いをしていた。外科以外は全て経験があったそうです。
配属後、上官に「希望の科はあるか」に「外科がしたいです」といったそうです。他の科は経験があるので、やったことのない外科をしてみたかったそうで、希望が通ります。ただし、手先が不器用なのでちょっと心配をしたそうです。
昭和19年から「死亡係」になります。これは、死体の処理をして、遺骨を司令部に納めるかかりです。
昭和20年8月15日の敗戦で、それまで死体を焼いていた火葬場が「活動停止」になります。火葬場は軍の管轄で、敗戦と同時に利用ができなくなったそうです。上官に掛け合い、上同士で役所仕事に抗議をしますが、なかなかラチがあきません。数日が過ぎていきます。
その間も、死体は放置され、新しい死体も入ってきます。
だんだん放置された死体は、顔が変形し、見られたものではなく、内臓腐敗が進んで、その水液が死体部屋の床に溜まります。ゴム長をはいて部屋に入ると「ザブザブ」と音がする始末です。
匂いも大変なので、ガーゼにメンタ油を1,2滴落としてマスクとしたそうです。
どうしても、火葬場が空かないので腐った死体を運び出し、自作の小さな火葬場(レンガで造った)で焼こうと試みます。ただし、死体全てを焼くことはできないので、大きなメスで手を切って、手だけを焼いて遺骨をとりだし、司令部に納めたそうです。手以外の部分は、病院の裏の薬草園に埋めたそうです。日がたつと、マキもなくなり、最後には指を切って遺骨を作ることにしたそうです。
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2013/07/01(月) 05:15 | | #[ 編集]
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