FC2ブログ
あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
東日本大震災から9年が経ちました。
こちらも、新型コロナの影響で、追悼式典などが中止されたようです。
災害時は、避難所に人が密集することや、インフラ破壊による衛生面の悪化、栄養・休養が不十分となることなどから、感染症の危険が高まります。
すでに感染症が広がっている現在、ここでさらに災害が起こったら、と考えたのは、おそらく自分だけではないと思います。

東日本大震災の場合は、原発による放射能災害もあったため、復興がより難航しています。
震災から数日、放射能の動きを想定した避難指示が不十分で、避難する人たちに混乱をもたらすことになりました。
チェルノブイリ原発事故の際は、問答無用に3日分ほどの荷物を持って、避難の必要な区域の住民全員をバスに乗せ、避難させたということで、そういう強制力がいいのかどうかはともかくとして、事が起こったときの対応の比較になったと思います。
日本は、その後、避難区域をいくつかのパターンに分け、避難の必要な人、そうでない人を振り分けました。
必要ないとされた地域から自主避難をした人たちもいました。
さらにその後、戻ることができるできないで地域が分けられ、それによって補償も変わりました。
被災者どうしが分断された形になります。

今、感染拡大防止のために休業した場合、正規雇用者と非正規雇用者、事業主では、補償に大きく差が出てきそうな方向に向かっています。
東日本大震災当時失業中で、現在も非正規雇用の身としては、この辺、かなり生々しい実感として気になるわけです。

そして、このブログを書いている身としては、同じように戦場で被災していながら、軍に協力したか否かで補償されるかどうかが変わり、分断が起こった状況までワンセットで考えてしまうのです。
分断は、身近な人にも相談できない状況をもたらします。
もちろん、生活を支えられるだけの補償がないとしたら、それでは救われない人が出てきます。
結果、無理をしなければならなくなり、事態の収束が遅れることになります。
大戦で親を失いながら、また自ら心身に傷を負いながら、補償のなかった方々の苦労は、75年経っても続いています。

政策についてどうこう言うのは、保存の会の方向とは違っており、昨日につづいて私の個人的な考えだとお断りしつつ。
国を成すシステムは、危機に際して、誰もが救われるものであってほしいと思います。
誰もが再び立ち上がるのに十分なものであってほしい。
分断ではなく、誰もが他者の経験・状況を思いやることのできる状況をつくってほしい。

災害・感染症・戦争はどれも違うものだというのも、繰り返し言いますが、共通して、過去に学ぶべきものがあると思います。
全ての「被災者」が救われるように、亡くなった方のご冥福とともに、祈ります。
スポンサーサイト



コメント
この記事へのコメント
温故知新
何かあると常につきまとう。
出典は2500年前の論語なのに。
蒸気機関を始め、最近ではAI。
人類のある一面は進歩したけど、人類そのものは全く進歩していない。
2020/03/11(水) 22:14 | URL | ぜろねこ #-[ 編集]
ぜろねこ様

どんなに進歩したようでも、結局かなわないものはありますしね。

分断することで得をしようとする人の存在と、それに気づかない大多数という構図が変われば、少しは違ってくるのでしょうか。
2020/03/12(木) 20:07 | URL | しょうみー@ブログ係 #sCdCES4I[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://senjotaikenhozontabi.blog2.fc2.com/tb.php/3911-91643a11
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック