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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
先日八重洲ブックセンターで開催した「沖縄の戦争展」で、空いた時間を使って女子学徒隊の証言映像を上映しました。
どうまとめたものか考えていましたが、最終的に落ち着いた形を報告しておきます。
初日は、機材セッティングがうまくいかず、40分遅れでスタート。座談会の直前までやっていました。
一応、5月の証言映像を使った茶話会で使った宮城巳知子さんの映像を中心に、茶話会で出た質問に関係しているような部分を、他の女子学徒の方の証言から補足した形です。
当日配布資料はA3片面だったので、もう少し背景部分の資料をつけたり、それぞれの証言に、所属部隊の状況を加えたりということも考えられるかなと思います。

◆◆◆

女子学徒隊証言映像集 約72分

6月22日、23日両日午前上映。上映時間はだいたいの目安です。

宮城巳知子さん:瑞泉学徒隊=首里高等女学校。62師団野戦病院に配属。
稲福マサさん:梯梧学徒隊=昭和高等女学校。62師団野戦病院に配属。
中山きくさん:白梅学徒隊=県立第二高等女学校。24師団第1野戦病院に配属。
仲里ハルさん:積徳(ふじ)学徒隊:積徳高等女学校。24師団第2野戦病院に配属。
※各学徒隊の呼称は、戦後になってつけられたもの。

10:30~10:39 8分45秒
〇最前線の分室壕(浦添市仲間・仲間分室で壕の拡張作業)
瑞泉学徒隊 宮城巳知子さん

62師団野戦病院に配属された瑞泉学徒隊のうち、中部出身者8名が、浦添仲間分室に派遣された。
主に分室壕の拡張作業をしていたが、最前線にほど近いこの場所は長くはもたなかった。

10:39~10:48 8分31秒
〇野戦病院での看護1(八重瀬町富盛・手術場壕で手術の手伝い)  
白梅学徒隊 中山きくさん

八重瀬町富盛の24師団第1野戦病院で、中山さんは、最も重傷の患者が来る手術場に配属されていた。両手に1本ずつ太いロウソクを持ち、切断や切開を行う軍医の手元を照らす。

10:48~10:55 7分02秒
〇野戦病院での看護2(南風原町新川・ナゲーラ壕の様子)
瑞泉学徒隊 宮城巳知子さん

中部戦線が激化する中、仲間分室からナゲーラ壕に戻ると、そこは負傷兵であふれていた。水も食料も薬もない、攻撃で外にも出られないその場所を、宮城さんは「地獄」と呼んだ。

10:55~11:10 14分41秒
〇学友の犠牲(那覇市識名・識名壕、糸満市真壁付近のガマ)
梯梧学徒隊 稲福マサさん

62師団野戦病院の識名分室で、いつも稲福さんと行動を共にしていた学友2人が亡くなった。
南部に撤退後も、何度も死に瀕し、そこで重傷を負った学友を置いて移動することもあった。

11:10~11:18 8分07秒
〇南部への撤退(那覇市識名・識名壕で重傷患者への注射を命じられる)
瑞泉学徒隊 宮城巳知子さん

南部への撤退の途中立ち寄った識名分室で、瑞泉学徒隊は、重傷患者への注射を命じられる。モルヒネによる殺害だった。宮城さんは怖くて注射ができず、結果としてその患者は生還する。

11:18~11:27 9分24秒
〇解散命令~南部彷徨1(野戦病院の解散。それまで白梅学徒隊は犠牲者0だったが・・・)
白梅学徒隊 中山きくさん

一番南にあった24師団第1野戦病院は、6月4日、南部撤退ではなく、いきなり解散となる。ここでも重傷患者の処置があった。学徒隊は散り散りになり、爆撃と艦砲射撃の中をさまよう。

11:27~11:35 7分37秒
〇解散命令~南部彷徨2(糸満市米須で野戦病院の解散。行き場をなくし戻った壕で馬乗り攻撃に遭う)
瑞泉学徒隊 宮城巳知子さん

南部の米須に移った62師団野戦病院も解散となる。どうやって死のうと考えながらもとの壕に戻っていたところを馬乗り攻撃に遭い、黄燐弾を投げられ苦しくて壕を出たところで米兵に捕まる。

11:35~11:43 7分50秒
〇解散命令~南部彷徨3(糸満市糸洲。「生きろ」との最後の訓示を受けた積徳学徒隊の数少ない犠牲者)
積徳(ふじ)学徒隊 仲里ハルさん

24師団第2野戦病院は、豊見城から糸洲に移動。隊長は学徒隊に自決を禁じ、解散のときも生き延びるようにと訓示をする。解散後最初にガマを出た仲里さんたち3人だけが、戦闘に巻き込まれた。
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