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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
昨日山の手空襲のことを調べていて、4月1日から5月上旬ごろまで、B29が特攻基地への攻撃中心になったため、都市への空襲が減っていたというのを見かけました。
しかし、特攻基地への爆撃は、特攻機自体への効果は少なかった、とも書かれていました。
6、7年前ですが、特攻機の飛び立った状況を、防衛研究所の資料で見ていたことがあり、なんとなく気になったので、特攻について検索してみました。

そうしたら、今度沖縄戦展でお話をしていただく予定の、毎日新聞の栗原俊雄記者の書かれたものがヒットしました。
「現代ビジネス」の記事です。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50088

沖縄戦での特攻が行われた初期には、米軍は、戦闘機もろとも突っ込むような作戦が継続的に行われるのを想定していなかったため、対処ができていなかったが、迎撃態勢をとるようになってからは、特攻機は第一目標である空母に近づくことさえできなくなった。
終戦までの航空特攻の戦果は、正規空母=0/護衛空母=3/戦艦0/巡洋艦=0/駆逐艦=撃沈13/その他(輸送船、上陸艇など)撃沈=31。
航空特攻の戦死者は、諸説あるものの、海軍が2431人、陸軍が1417人、計3830人。
1隻沈めるために81名の兵士が死亡したことになる、というものです。

それでも、沖縄戦の最中、米軍が特攻基地への爆撃に特化していたのだとしたら、この1ヶ月余りの間、都市での大量殺戮を狙った攻撃を止めていたことが、この特攻の一番の成果だったということもいえるのでしょうか。
一方で、特攻基地の周辺の都市にとっては、重点的に狙われることになったので、むしろ特攻により被害が拡大したことになるのだと思いますが。
そして、都市への攻撃も、遅らせることにはなったものの、止めることはできず、5月中旬以降、空襲による犠牲は再び増えていくことになります。

6月の沖縄戦展では、栗原記者には、遺骨収集など、現在も残る沖縄戦の課題についてお話しいただく予定ですが、特攻についても調査や聞き取りを重ねられたという蓄積もあってのお話だということを、今日は改めて確認することになりました。
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