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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
平成最後の昭和の日。
いろいろと行事もあったようですが、私は例の証言映像を使った茶話会の準備が進まず、ひたすらテープ起こしです。
スタッフに求められる難易度がガンガン上がっていくのはどうにかならないものか。

そういうわけで、現在、沖縄戦瑞泉学徒隊の宮城巳知子さんの証言映像に取り組んでいるわけですが。
宮城さんは、62師団(石部隊)の野戦病院に動員されていました。
この62師団の兵士の一人、山本義中さん(お会いしたことはありません)の著作を読んだことを思い出しました。
山本さんは沖縄戦で片腕を無くされるのですが、その負傷をされた日が、確か1945年4月29日だったと思います。(負傷された場所が、宮城さんが最初に配属された野戦病院分院のあった浦添市仲間だったはずです。)
沖縄戦では、この日に合わせて総攻撃をする計画がありました。実際には、5月4日に行われるわけですが、そのときの犠牲が大きく、戦況がさらに苦しくなります。
戦時下にあると、元首の誕生日は、作戦の日になりがちです。友軍にしても敵にしても。
平成にはそういうことが起こらなかったのは、本当に幸いなことです。

ちなみに、証言の中にあったのですが、宮城さんが戦争体験を語り始められたのは、平成元年からだったということです。
教職員を退職してすぐからで、そうなったとのこと。
在職中、ずっと怖くて戦争に行ったことは話せなかったのだそうです。
戦後40年に、取材を受けて、梯梧学徒隊の方と一緒に識名の壕に行ったとき、ようやく、話してもいいということがわかったのだとか。
戦後40年―昭和60年です。
その40年の間も、戦争を語り始めるようになられてからも、いろいろと心にくすぶる思いがあったようで。ひめゆりは有名になっても、瑞泉隊のことは誰も知らないのが許しがたく、沖縄で植樹祭が行われたときに、今上天皇に要請文を書いて、少しの間面会をすることができたという話もありました。
この辺の話は、茶話会では出すことがないはずの部分ですが、重たいものを感じました。今日という日だったからなおさらだったかもしれません。

昭和の日の直後に、平成から令和になるのだということに、今更気づきながら、平成が終わっても戦後は終わらない、という言葉を改めて思うこの日なのでした。
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