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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
昨日に引き続き、先日の慶良間諸島への旅の報告を転載します。

◆◆◆

長くなったので、渡嘉敷編はメールを分けることにしました。
といっても渡嘉敷は聞き取りはなく、慰霊祭のみの参加です。

渡嘉敷の慰霊祭に参加するのは3年連続、最初の年は本島に住む
体験者の方の参加にご一緒しました。
昨年もその方とご一緒のはずが体調を崩されて一人で行くことに。
その時に島に住んででフィールドをしておられた岩手大学の麦倉先生が
慰霊祭後「語り継ぐサロン」を開催して下さっていて
その場で知り合ったお2人を含めた3人から昨年は聞き取りをしました。

そこで今年。遠方ですから迷いましたが、
話を聞くだけ聞いたら来なくなるのもなんだなあと思い今年も伺ったところ、
島を離れたはずの麦倉先生がさらにバージョンアップされた「語り継ぐサロン」を
開催、今年は村の教育委員会の後援がついていました。
私の方もおばあから数年ぶりに島に戻ってきた役場の人に「この人は
毎年慰霊祭に来てくれる親せきみたいな人」と紹介されるまでに成長し…(笑)

座間味や阿嘉は慰霊祭は5年に一度で、もう先が長くないのだから
毎年やって欲しいという声を体験者から伺うのですが、渡嘉敷は毎年開催されていま
す。
私たちが沖縄に行き始めたころはやっていなかったような気がするけど??
と何となく疑問に思っていたのですが、今回のサロンの挨拶で
33回忌で一度止めた後前の村長さんの時に復活させたことを知りました。
確か当時山中で生まれた方だと伺ったことがありますが、今年の慰霊祭では
新しい村長さんが「初の戦後生まれの村長になりますが」と挨拶をしておられまし
た。

サロンに参加している人のほとんど、まして体験者世代の島民は全員知り合いですか

サロンそのものは私のためにやってくれているんじゃないかぐらい
麦倉先生の積み重ねに乗っかっている申し訳なさはあるのですが
(実際に今年も新しい聞き取りのお約束をしましたし、
サロン様に用意されていた島言葉の地名が入った地図も頂いてしまいました!)
麦倉先生の生活史を含めた穏やかなフィールドワークの積み重ねと
話を出来る場所があり、そこに役場の人が顔を出したり後援をしたりする状況の中
いろいろな人が話をしていく土壌が醸成されてきているのを肌感覚で感じました。

島の若い人がそのサロンに足を運ぶまでにはまだ段階が必要そうですし
(式典には地元の小中学生が参加しています)
各家庭での語り継ぎがどの程度か私には分かりませんが、
話す場所づくり、環境づくりの効果を見る思いです。

親せきと言われてしまった以上、少なくともあのおばあが慰霊祭に出られる間は
私も毎年通うことになるのだろうなという予感。
慰霊祭の翌日が91歳のお誕生日でしたけれど、イノシシに負けず畑も続ける
グランドゴルフの名手なので、あと5年や10年は行くことになるのかもしれません。
とりあえず来年の3月28日は土曜日であることを確認しています!
(土曜日でも村の行事ってやるよねえ)
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