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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
ピーススフィア関東 講演&朗読会に行ってきました。
少し遅れて着いたので、朗読の途中でした。
実際に絵本になっているものや、絵本仕立てで写真などを配したものなど、スクリーンに映し出しながらの朗読。
状況がわかりやすく、入っていきやすいと思いました。
直接的な描写ではないところも、入りやすさの1つかもしれません。

鶴文乃さんの講演で、「忘れられた被爆地長崎」として、海外での例が出てきました。
フランスに「ヒロシマ橋」というのがある、ということ自体、初めて聞く身としてはおどろきでしたが、長崎のものは少ないというのには、世界中でそうなのか?とショックを受けました。
大統領も広島だけに来たりしますので、前々からなんとなく感じてはいましたが。
最初の原爆ではないからなのか、であれば、長崎を最後にしよう、というところには、そのまま共感しました。それも、普段から思うところですので。

朗読の中で、山里小学校のあるクラスの話があったのと併せ、原爆孤児の話がありました。
孤児院ではなく、学校の1クラス全員が原爆孤児ということもある状況。
孤児院での教育についてなど、実際に話を聞かなければわからないことだと思います。
孤児院出身の方々の証言を得ようとしたとき、これまでの差別を思って応えない人のほうが多かったということも。
保存の会が沖縄の孤児の実態に触れる機会が増えている時期なので、この辺りは非常に気になる話でした。
故永井隆博士の2人のお子さんたちも孤児になったけれども、博士の弟さんがめんどうをみて大学まで出しているということでしたが、これは稀有な例で、ほとんどの親戚は相手にしてくれないものだというのは、いずこも同じのようです。
鶴さんも、お父さんを亡くして母子家庭で、それを実感されたそうです。

一方で、絵本「ところてんの歌」の中に、亡くなった主人公を祀ったお地蔵さんにお参りする、戦地から帰った父親が登場します。
こういう、軍隊に行き、長崎を離れていたために生き残り、帰ってきたら家族も家も全て失っていたという人がけっこういて、その多くが自殺をしたり、心を病んだりしているようだということです。
長崎で戦場体験者を探すのが難しいのは、原爆の被害が大きいため、戦地にいた人が語りづらい状況があるのかと思っていましたが、こういう、とても語れないという事情もあるのだろうと思いました。

鶴さんは、8月9日11:02に、鐘を鳴らそうという運動を進められています。
お寺などではなくても、個人でも鳴り物を鳴らすなど、一人一人が動くことを呼びかけられています。
長崎を(戦争における)最後の被爆地に、という思いと共に、広げていきたいものです。
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