あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
足元キャラバン(仮)の一環にくわえましたが、本日、東京大空襲でご両親を亡くされた星野光世さんのお話を伺いました。
星野さんは、11人で構成されていた戦災孤児の会(昨年解散)のお一人で、絵本『もしも魔法が使えたら』を出版されています。
もともとは本当に自費出版の絵本だったものが、講談社から書籍として出版されたばかり。すべてのページにフルカラーの絵が入っている労作です。

星野さんは、東京大空襲当時、ご両親と兄、妹、弟、さらに疎開中に生まれて一度も会わなかった妹というご家族でした。
ご自身は前の年から学童疎開で千葉県の君津に行っておられ、お母さんと下の兄弟も千葉県内の親戚の家に疎開中でした。
が、お父さんが病気で入院されるということで、お母さんが一番下の妹を背負って東京に出られたそのときに、東京大空襲があり、ご両親とお兄さん、妹さんを亡くされました。
大空襲の翌日には、東京湾を越えて、大空襲の燃えカスが君津まで飛んできたそうです。
それから、疎開先に親や親せきが迎えに来て帰る子供たちが出始めました。
両親が亡くなって親戚に引き取られていく友達もいたので、親戚が迎えに来て「お父さんもお母さんも死んでしまったよ」と告げられた時、悲しいというより「自分の番が来たか」という思いだったとのことです。
それから、2ヶ月千葉の母方の親戚のところにいてから、弟・妹と3人、新潟の父方の親戚に預けられます。そちらは貧しい農家で、いつも怒られていたそうです。
そういう中、隣の村のおじさんが、一晩泊りに来なさいと迎えに来て、山を越えてついた先でごちそうを出されます。そして、「今日からここの子になるんだ」と告げられ、騙された、と感じます。
それで危険を感じて、再び山を越えて、もとの親戚の家に帰り着くと、いつも怒っているおばあさんが驚いて「なんだお前たち」と言いながらも、白いご飯を食べさせてくれて、自分たちに背中を向けて泣いていて。
後で孤児の会の仲間に話を聞いて、どうも自分たちは売られそうになったのらしいと知ったとのことです。
それから弟をその家に残し、星野さんと妹さんは千葉の親戚の家にまた引き取られます。そこで10年働いて東京に出て、自分たちの人生を始められたとのことです。

直接空襲に遭われた体験ではありませんが、戦災孤児の厳しい状況がうかがえるお話でした。
疎開先に親が迎えに来る子供を見て「とても幸せなことだなあ」と思ったとのことで、その思いが、本のタイトル『もしも魔法が使えたら』につながっているようです。
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