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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
広島で被爆された、詩人・エッセイストの山中茉莉さんの講演会に行きました。
放送大学多摩学習センターの同窓会主催です。
昨日の入学者の集いで開催情報を得たので、同窓生ではないですが参加させていただきました。

最初少し原爆の基本的なことについてお話されました。
爆風・熱線・放射線の3つが来ること。
特に、2km圏内では、町全体が持ち上がり上空で解体されて降り注ぐ、という説明にはびっくりしました。
原爆についての話などはそれなりに見聞あるのですが、この表現は、爆風(衝撃波)のすさまじさがリアルに伝わってきます。
山中さんはその圏内、爆心地から1.3kmぐらいのところで被爆されました。
当時2歳ということで、お話の内容はお母様から伝え聞かれたことが多いようです。
本来の家は山の陰にあったけれども、お父さんが戦争に行っている間実家に帰るように言われ、そこで被害に遭われたとのこと。食いぶち減らしの面があり、当時の生活の苦しさが関係しているわけです。
しかし、そのことで、帰ってきたお父さんが、「なぜわざわざ子供たちを被爆させた」と、お母さんを責めることになり、お母さんの苦悩に追い打ちをかけることになります。
原爆投下直後は、閃光の後、気づいたら町が瓦礫に変わっており、子どもたち(おばさんの子ども含めて6人いた)は、それぞれ遠くに飛ばされてケガをしていたそうです。
瓦礫の下敷きになった人たち、顔見知りを見捨てて炎から逃げたことが、お母さんを一生苦しめます。
黒い雨にもあたりました。
学校を卒業すると、差別を逃れて東京に出て、そこで就職、結婚されます。就職先では、むしろ広島からということでよくしてもらったそうです。結婚のときは、相手のお父さんが「あんな大勢の人が亡くなったところから生き延びてお前と出会ったのだから、ぜひきてもらいなさい」ということで、相手よりもその言葉に引かれて決められたのだそうです。
旦那さんと一緒に放送大学受講中なのだそうです。

山中さんを放送大学に誘ったそらさんという方もいらっしゃっていました。
当時は中学3年生で、呉海軍工廠に動員されていて直接被爆はしなかったものの、中学1年生の弟さんを探すために2次被爆されているとのこと。
この弟さんは、『いしぶみ』という本になっている、全滅した中学1年生の一人とのこと。

『いしぶみ』は、中学生の時に感想文を書かされました。自分だけ、何かのコンクールに出すために読まされて書かされたのでした。
こんなところで、その犠牲者の身内の方(本にも出てきたのかもしれない)と遭遇することになるとは、本当に人生わからないものです。

そういうかんじで、いくぶん久しぶりに、原爆の証言を伺う機会となりました。
同窓会会員ではない(卒業していないので入れない)ので、懇親会などには参加できなかったので、ご挨拶はできませんでした。
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