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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
ここで、戦場体験放映保存の会の役員である戦場体験者猪熊さんから、発言をいただきました。
いわば「客席のパネリスト」というかんじの発言なので、ここは詳細に紹介します。

保存の会の活動が始まって5年以上になりますが、猪熊さんには初期から参加していただいています。当時は保存の会の事務所は渋谷にあり、近くの喫茶店の会議スペースで会議をしていたこともあったとか。そういう会議に、今回のパネリストである北村さんがときどき顔を出されていたそうです。
「会議の後、北村さんと列車に隣り合って座って帰ったことを思い出します」と、猪熊さんのお話は、そのころの思い出話から始まりました。
以下、猪熊さんのお話です。(※ある程度、ブログ係の方でまとめて書いています。)

私は今、「わだつみ会」はじめ、いろいろな団体の活動に参加していますが、私たちが語り継ぐのは、そろそろ最後です。これからは、次の世代が語り継ぐことになります。
戦場体験は人それぞれ違っており、体験者はそれぞれ思いを持っています。その思いを、語り継ぐ世代はどう伝えていくのかが問われている時代です。

私は、ある会の中で、「語らないことの中に戦争の真実がある。語りたくないことの中に戦争の真実がある」ということを言いました。
「こんなことを、本当に家族の前で話せるのか?」と思うから話せない。そこに語りたいことがあるのに。
例えば、シベリア帰りの人の2割は、何も語らずに亡くなっていきます。シベリアでの3重苦、寒かった・ひもじかった・仕事がつらかったというところまでは話をするけれども、人間性を失って死体から服を剥いでパンに換えたというのは、虚しくて辛くて悲しくて腹立たしくて話したくない。これがシベリア帰りの人にあると思います。
それは他の戦場でもそうで、そこに戦争の真実、残酷さがあると思いますが、それがなかなか語り継げないし、語り継ぐ人もいない。これを次の世代にどう伝えるのかというのが課題だと思います。

もうひとつ、沖縄の例でもありますが、日本の兵士たちがどのようにしてあのような「軍人」に育て上げられたのか、ということはあまり語られてこなかったと思います。
軍隊の中で、人間性を無視されて鍛え上げられて、侮蔑感・差別意識の上に立って「日本兵」が生まれ、いろいろな事態があった。内務班でそのように仕立て上げられたことは、戦友会では語っても、一般の人にはみじめだから語らない。そこには、戦場で戦う兵士の姿はない。
その辺りを掘り下げて語り継ぐ必要があるのではないでしょうか。

それと、上丸さんにもお願いしたいことですが。
私は15歳で少年兵となり19歳でシベリアから帰りましたが、少年兵に志願した大きなきっかけは、朝日新聞の「撃ちてし止まむ」の宣伝広告でした。街角には広告塔が建てられ、私たちはみんな敵国の国旗を踏みにじって、「撃ちてし止まむ」の敵愾心を育てていました。
十数万の学徒出陣のことは語られても、42万を超える少年兵のことはほとんど忘れ去られようとしています。
敗戦間際の状況は、この42万の少年兵に象徴されるのではないか。この少年兵のことも、もっと語り残していかなければならないのではないか。

語り残す方が何を語り残すかということと同時に、語り継ぐ人が何を語り継ぐか、それを、今この期間に、十分に議論する必要があるのではないかと思います。
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