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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
保存の会メーリングリストでも、昨日書いたお二人の訃報について流れていたので転載します。
保存の会に最初からいたメンバーならではの、お二人と保存の会との関係がわかるものです。

◆◆◆

皆様へ

報道などですでにご存じかもしれませんが、
2月10日に大阪の池田幸一さんが、また2月4日に造形美術家の三橋國民さんが
亡くなられていたことが分かりました。ともに97歳でいらっしゃいました。

池田さんは、満州・新京で敗戦、その後ウズベキスタンに抑留をされました。
敗戦時の新京の街や軍隊の混乱のさま、抑留の中で右に左にとなびく日本人の
様子を話していただきましたが、池田さんのご活動の中心はむしろ
日本政府に謝罪と補償を求めた「カマキリの会訴訟」と
それを経てのシベリア特措法の実現(2010年成立)にありました。
(※支払い義務は日ソ共同宣言により日本政府に移っている)

当会では2016年の中之島集会で体験談を話されると同時に
1部最後のご挨拶をいただきました。

「戦争を体験した方々の生々しい報告を聞いて私は、次のことに気が付きました。
その一つは、やはり我々は命ある限り語り尽くさねばならない、
特に「戦争だけは絶対にしてはいけない」ということをです。
それぞれ立場と表現は違っても今のお話を聞けば、この一点で見事に一致しています。

近頃の我が国は戦争が出来る国を目指してまっしぐらのようですが、
私たちは更に戦争反対を叫ぶべきだと思いました。

しかし、反対反対と叫ぶだけで戦争は避けられるのか?
具体的な方法をと問われれば答えは必ずしも一つではない筈です。
それだからこそ「戦争反対」の訴えは必要です。
何故なら、そこから掘り下げた国民的検討が始まるからです」

日頃の池田さんからすれば、かなり保存の会の「無色」に心遣いをいただいた
のだと思いますが、池田さんらしい英知の滲むご挨拶でした。


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三橋さんは野戦高射砲第74大隊で西部ニューギニア・サラワティ島へ従軍
その体験を絵画や彫刻、造形物などで発表しておられました(名誉都民)。
ご自身と戦友を描いた「飢餓兵士像」はご覧になったことがある方も
いらっしゃるのではないでしょうか。

保存の会との関りは2005年と古く、「元兵士から元兵士への呼びかけ」が
新聞に掲載されるとすぐに、「体験を話してもいいよ」とお電話を頂きました。
その最初のお電話で「無色」について会話を重ねた思い出があります。

証言自体が非常に色彩豊かで、また記憶が言葉ではなく映像で記録されている
様子に、美術家の人というのはこういうものなのだろうかと思ったものです。

体験者の方が多く集う席にいらっしゃるようなことはありませんでしたが
長く支援をいただき、また活動を信頼していただいていると感じていました。
当会の展示などで作品集を紹介させていただいていましたが、
一番最初の浅草での千人展の折(2006年)、自分の絵画を貸してもいいんだけど
でも軍服や飯盒と一緒に転がってるのも世田谷のボロ市みたいで何だなあと
ご連絡があり、芸術作品の運搬も警備もとても自信が持てないので
ありがたく辞退したのも懐かしい思い出です。


このMLではご紹介しない訃報もひっきりなしで、そういう活動だとしか
言いようもないのですが、象徴的なお二人の訃報に改めて
応援していただいたことにふさわしい活動を続けなければとの思いを強くします。
池田さん、三橋さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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