あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
なんとなく、そういえば今を去ること30年ぐらい前、高校合格が決まったのが今頃だったなあ、と、ふと思い出しました。
高校は若い先生たちが多く、父と母の中間ぐらいの先生が年齢的に上から数えて5本の指に入るというようなところで、受験校で、「高校時代は灰色など生ぬるい、真っ黒になれ」とのたまうような環境だったわけなのですが。

その、父と母の間の年齢ぐらいの英語の先生(今だと74歳ぐらい?)が、授業中の脱線話で、自身の経歴を少し話されていたことがありました。
外語大を出る年、商社を受けたところ、2つの理由で落とされたと。
1つは、視力が非常に悪かったこと。これは、戦後栄養失調だったため、とのことでした。
もう1つは、父親がいなかったこと。戦争で亡くなっていた、とのことです。当時は、戦死だと思っていたのですが、空襲などの可能性もあるというのは、今になって気づきます。その辺ははっきり聞かなかったのか、実際戦死だと聞いたのか?
親父がいないのは自分のせいではなく戦争のせいなのに、それを理由に採用されなかったことが悔しかった、とのことでした。
むろん、そのとき商社に入っていれば、教壇に立つことなどなかったわけで、人生万事塞翁が馬ではあるのかもしれませんが、それはさておき。
1つ目の理由、栄養失調も、父の不在の影響が大きかったのかもしれません。

高校卒業後、正月には先生のお宅にお邪魔して、歴代教え子有志と飲む、という集まりに何度か出たことがありましたが、もちろん「今」の話に花が咲き、在学中に聞いたその話を思い返すことはありませんでした。
それはごく普通で、そうあるべきものなのだと思いますが、今の自分からすると、惜しいことをしたと思ってしまいます。

高校の頃、将来何になるかというのを考えたとき、国連職員というのを考えたのは、小学校の頃からずっと戦争のことが頭の片隅どころでない範囲にあったからで。
その先生のおかげで、在学中は英語の成績はそれなりによかったのですが。
いかんせん、その受験一直線で英語漬けになった故にか大学に入ってからは英語を勉強するのに身が入らず、また勉強しても使いこなせるようにはならず。
条件の1つである大学院卒はなんとかやったものの、語学はまったくのまま受験可能年齢を越えて今に至るのも、また塞翁が馬の途中なのでありましょうか。
先生、誠に申し訳ございません。
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