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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
「今後、直接体験者の方から当時の思いを聴くことがなくなってしまう時代がやってくると思います。その時に、私たちの意識から消えてしまう何かがあるのでしょうか?」
中田事務局長の問いかけで、論点は、体験者なき後の戦場体験の継承へと移っていきます。

上丸さん:
これから物理的に直接戦場体験を聴く機会がなくなるのは間違いないですが、では、これまでは聴いてきたのでしょうか?聴いてこなかったのではないでしょうか?

これから聴けなくなるということよりも、これまで聴いてこなかったことが問題なのではないのか?という指摘です。
体験者の方は語りたがらず、銃後の人たちも進んで聴きたがらなかったという状況があったのではなかったか?
全国キャラバンに同行され、長野の体験者の方と向かい合う中で、身を乗り出すように語られる体験者の方に圧倒され、それだけに、「この方たちは、これまで語ってこられなかったのだろうな」と感じられたのだそうです。
語られなかった背景には、同じ戦場にいて、同じように食べ物がなかったのに自分だけ生き残ってしまったという体験者の方の思いと、彼らを戦場に送りだしてしまった銃後の人たちの心苦しさとがあったのではないか、と上丸さんは続けて語られました。
だから、保存の会のような活動がもっと早くあれば、というのがある半面、あの戦場を知るものが自分しかいなくなった今だから語られることもあるのだろうと。

さらに、上丸さんは、これまで語られてきた戦場体験に偏りがあることを指摘されます。
太平洋戦争は語られても、日中戦争のことはなかなか語られないということ。戦場の話の中で、現地の人の様子が登場しないこと。他国の死者に対する想像力が欠落していること。
それは、当時の報道のあり方にも問題があったのだということ。

北村さんは、そこに、「対話」の欠落を見出されました。
戦場で現地の人との対話がなかったために、現地の人のことが体験証言に登場しないのかもしれない。また、戦場体験者と非体験者との対話そのものがなかったために、記録されてこなかったのではないか?と。

「対話」ということについて、中田事務局長が、再び保存の会の方向性についての問いかけをします。
証言を記録するとき、ビデオに映るのは語り手である体験者の方だけれども、その裏には自分たち記録する側がいて、その場の空気を作っています。しかし、記録をするときには、相槌をうつのにも気を使い、自分たちの存在を記録の中から消そうとします。それでも「対話」なのでしょうか?

問いかけを受けて、小澤さんは、「自分の話をします」ということで応えてくださいました。
番組をつくるときには、インタビュアーの声は全てカットします。インタビュアーは、無色透明な人間という状態です。しかし、実は自分を出さないとインタビューは成立しないのです。質問を投げかけたりしてやりとりをしないと、話というものは出てきません。だから、インタビューをするときは、実は対話になっているのです。

パネリストの方々それぞれの熱い言葉に引き込まれる中、シンポジウムはいよいよ終盤に向かいます。
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