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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
北海道チームが8月21日(土)午後に伺った証言の概要です。
これも旅先からのレポートでした。

◆◆◆

◎鹿山 可久さん

大正9年6月16日生まれ
○昭和16年8月10日 
電信第四連隊補充隊に召集。独立電信第10隊に入隊。
特殊無線中隊に転入。

○昭和17年12月 
宇高へ。船舶通信連隊第三中隊に転属。

○昭和18年1月
能登丸に通信士として勤務。
船舶工兵第八連隊本部に転属。
ガダルカナル~ショットランド

○昭和18年2月
駆逐艦雪風にてブーゲンビル島着。ラバウルへ。
・4月 アッツ島へ出港。トラック島にて待機
・8月 電信第二連隊に転属。第五中隊に編入

○昭和19年3月 
東部第1901部隊(高射砲隊本部中隊)

○昭和20年8月 解除。

●ガダルカナルにまつわる証言●
夏服を渡されて、「貴様らどこへ行くかわかるか?ガダルカナルだ」と怒鳴られた。制空権を握られており、日中航海はできない。島影に隠れて夜間に急いで移動の毎日。星座を見ながら方向を決めて進んだ。
食料、弾薬を郵送。ガダルカナル島には長くて一週間滞在。
「人の腐敗した匂いとどぶの匂いでひどいところだった」
食べるものが無くて、やしの木のシン、バナナの木のシンを食べようと木を切ろうとすると、現地の兵士に怒られた。木が減ると、遮蔽物が減って上から見えてしまうからとの理由だった。
流れ弾で同期が腰から背中に弾が抜けたことがあった、弾の入り口は小さいが、出るところは大きくなって負傷する。

日本軍が米軍捕虜を捕まえることもあった。朝になると捕虜がいなくなっている。現地の兵士に聞くと、にやにやして何も答えない。
「これは必ず食っている」と思った。
巡洋艦とぶつかったこともある。南太平洋の名前も分からない島を通っている時に、ぶつかった。潮の流れで島にたどりついて、3日目に近くを通りかかった海軍に拾われて生還。

ガダルカナルの撤退戦で、撤収側の役割も経験。とにかく、ぼろぼろで、歩くのもおぼつかない兵士を次々に収容した。

「人間の命なんてどこにあるかわからないよ」
「その人の運命」
「電信隊は戦地をわたりあるくが、戦友がいないよ。死ぬときは仲間がいなくてひとりぼっち」

ぼそぼそと下を見ながらしきりに話しをされていました。
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