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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
北海道チームが、8月21日(土)午前に伺った証言の概要です。
これも、旅の途中でメーリングリストに上がっていたものです。

◆◆◆

◎佐々木豊さん
昭和2年4月15日生
昭和18年6月5日志願
予科練 飛行兵 操縦

中学3年生、学校の飛行兵のポスターを見て、大空にあこがれる。
志願。
昭和18年2月適正検査を受けるために、初めて北海道を離れる。
体重、身長が若干足りないので、背伸びをして、ふんどしに銅線を巻いて少しでも重くしようとした。それほど合格したかった。
3月合格。6月土浦へ。訓練は短縮されて一年予定だったが、さらに短縮されて10ヶ月。

昭和19年1月帰省。上長より、「かならず帰郷した際には、母校に立ち寄ること」との助言をもらい、母校にも立ち寄る。
街で、「荒鷲の歌」が流れており、大変誇らしげに歩いた記憶が鮮明。

昭和19年3月 操縦に。
93式練習機で飛行訓練。飛行時間5時間で単独飛行を経験。
東京に住んでいる同期は、自分の母校の上を低空飛行で飛んで、バンクをふった。無茶をするなと思ったが、うらやましかった。

昭和19年9月編隊訓練を実施。大村航空隊で念願のゼロ戦の操縦に。
ただし、帝都の空を守るのは経験のある先輩たちで、佐々木さんは、待合室でひたすら待機し、「敵機襲来」の合図でゼロ戦に乗って、雲に隠れる空中退避の役割。
一回につき20分から30分ひたすら隠れる。雲がないと、隠れることができなくなるので「青空が怖かった」とのこと。下を見ると、爆撃で火があがるところがわかり、艦砲射撃の弾幕を見ると、弾道が感覚的にわかり、どこに落ちるかが手に取るように分かった。

昭和20年8月15日終戦。
玉音放送で日赤の看護婦が泣き出し、みんなうずくまった。徹底抗戦を叫ぶもの、情報が間違っている負けるわけが無いと叫ぶもの大変な混乱だった。
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