あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
昨日ドーリットル空襲のことを書くのは4月に入ったころから決めていたのですが、大戦中の4月の年表を見ていて気づいたことがありました。
保存の会公式twitterでもつぶやかれていること、山本五十六連合艦隊司令長官の戦死が、翌年の同じ4月18日だったことです。

1943年4月18日、山本五十六長官はニューギニア方面の米軍を迎え撃つことになる将兵たちの激励にラバウルへ向かい、その帰途にブーゲンビル島上空で撃墜されました。
なので、ドーリットル空襲から1年後ということとは、作戦上直接の関係はないのでしょう。
ただ、日本軍の暗号が米軍に解読されていたことが、狙い撃たれた大きな要因であることから、暗号解読が進んだきっかけの1つであるドーリットル空襲の影響が1年後に大きく出た、という面もあるのかもしれません。

1年後のことはまた1年後に、ということにして(本当か?)、1942年4月18日、ドーリットル空襲の当日のことをもう少し見てみると。
この日、マッカーサーが南西太平洋連合軍司令官に就任しています。
日本軍の快進撃により、フィリピンから脱出したマッカーサーが、ニューギニア方面の戦闘を指揮することになります。終戦まで、この地位にありました。
ということで、1年後に山本五十六長官が迎え撃とうとしたニューギニア方面の米軍を指揮していたのはマッカーサーです。

2人の指揮官にとって、4月18日は重要な日だったのですね。
保存の会の聞き取りの対象となるのは、こういう指揮官ではなく、彼らに指揮された戦いに末端で翻弄されるような兵士たちがほとんどなのですが。
ときには、指揮官たちの大事件とニアミスしたような方にお話を伺う機会もあり。その辺のことが、保存の会twitterでつぶやかれていたわけです。
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