あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
1942年4月18日、ドーリットル空襲。
米軍艦載機による、初の日本本土への空襲でした。

空母エンタープライズ、ホーネットから出撃した16機のB-25が、東京、横須賀海軍工廠、横浜、名古屋、神戸、大阪を空襲。
民間人にも被害者が出ました。
死者87名、重傷者151名(うち後日死亡1名)、軽傷者311名以上、家屋全壊・全焼112棟(180戸)以上、半壊・半焼53棟(106戸)以上。校庭にいて機銃掃射を受けた小学生も含まれていました。
中には積極的に民間人に対する攻撃を行った機もあり、攻撃の後捕虜になった搭乗員のうち3名が死刑となるのですが、それがプロパガンダに利用され、米国内に「日本人を全滅させるべき」といった風潮を生んだという話もあるようです。

当時は日本の勝ち戦の時期で、日本本土へ米軍の攻撃が到達するのは難しく、むしろ日本軍が米国本土への攻撃も行っていたようです。
それに悩まされていた米国としては、厭戦ムードを払うためにも、日本本土への爆撃を行う必要があったということです。
難易度の高い空襲を実行すべく、航続距離の長いB-25を少数編隊で使用した空襲となりました。

対する日本軍の側は、米軍空母の接近を察知しており、警戒に当たってはいましたが、本土への米軍機の到達を翌19日と見越していたこと、高高度でやってくると思い込んでいたことなどから混乱を生じ、ほとんど迎撃の効果は上がらず。
敵味方の誤認や高射砲の破片による周辺への被害などが多発していたようです。
そして、この間に多数やりとりをした軍の通信が、米軍による暗号解読に大いにヒントを与えることになり。MO作戦がポートモレスビー攻略であることも、このとき米軍の知るところとなったようです。

この空襲の衝撃は大きく、日本軍はミッドウェー海戦に向けてより積極的となります。
米国の側では、この空襲をもとにした戦意高揚はだいぶ成功したようであり。
戦局の変化に関わる大事件であったのは確かです。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://senjotaikenhozontabi.blog2.fc2.com/tb.php/2814-dbffd9a5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック