FC2ブログ
あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
75年前、1942年2月27日~3月1日にかけて、ジャワ島攻略に向けての海戦が展開されました。
スラバヤ沖海戦とバタビア沖海戦です。

ジャワ島東部を巡る2月27日か~3月1日の攻防がスラバヤ沖海戦。
対するのは、英国軍とオランダ軍中心に、米軍とオーストラリア軍が参加したABDA艦隊。シンガポール陥落のときには、すでに多くの艦を失っていたため、寄せ集めだったこの艦隊の指揮官たちはほとんど脱出済みだったということです。

日本軍の側も、当初魚雷がなかなか命中しなかった他、状況の見誤りやヒューマンエラーも多発し、お互い混乱した戦況だったようです。
27日の2回にわたる昼の戦闘、夜の1回目の戦闘では、お互いにあまり命中弾が出ず。
その後、一旦日本軍を回避してジャワ沿岸を進んでいた敵艦隊は、オランダ軍が敷いた機雷原に誤って突入。慌てて海域を離れ、再び日本軍との戦闘へ。
夜の2回目の戦闘は砲撃戦が繰り広げられましたが、その中で密かに発射されていた日本軍の魚雷が敵に到達。敵司令官が戦死。
その後3月1日にも日本軍の掃討戦ともいえる戦闘が発生。
大戦の中でもまれな、3日間にわたる長期の海戦となりました。

一方、ジャワ島西部の攻略を命じられた側では、3月1日、バタビア沖海戦が展開されました。
こちらは、敵艦の情報を得た日本軍が優位の戦闘となり、2時間ほどで決着。
しかし、日本軍の誤爆により、味方輸送船や陸軍病院船が沈没しており、こちらも混乱が見られました。

この2つの海戦では、日本軍の艦が漂流する敵兵の救助を行っています。
中には、敵とお互いたたえ合った例もあったということです。
救助にあたらなかった艦、救助したもののやはり海に突き落とそうかという話が出ていた艦もあり、指揮官によって大きく違っていたようですが。

海戦というと迫力があるイメージですが、こういう混沌に満ちた戦闘もあったのですね。

なお、昨年、海戦75周年行事を準備中の国際調査団により、これらの海戦により沈没した艦の消失が確認されて問題となりました。
大戦の記憶は、体験者の死去だけでなく、こうしたところでも失われているのです。
スポンサーサイト



コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://senjotaikenhozontabi.blog2.fc2.com/tb.php/2760-a6e7bd2d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック