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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
8月19日(木)、東東北チーム第2班が伺った証言の概要です。

◆◆◆

◎小岩 京(こいわ たかし)さん
(旧姓:千葉)

1919(大正8)年3月生 91歳
本籍地:青森県
中国戦線~フィリピン~ガダルカナル~フィリピン

1940(昭和15)年2月 現役兵として歩兵第31連隊(弘前)留守隊に入隊。
1940(昭和15)年2月 満州・牡丹江に移動し、歩兵第31連隊歩兵砲隊に編入。
1940(昭和15)年5月 弘前に戻り、留守隊歩兵砲中隊に編入。
1940(昭和15)年8月 歩兵第52連隊(弘前)歩兵砲中隊に編入。
1941(昭和16)年3月 迫撃砲第3大隊第3中隊に転属。同月、中国に移動。
1941(昭和16)年5月 下士官候補生に命じられる。
1941(昭和16)年8月 第6師団(熊本)に配属となり、長沙作戦に参加。
1941(昭和16)年11月 武昌付近の警備任務。
1942(昭和17)年3月 第25軍隷下となり、上海からフィリピン・リンガエン湾に上
陸。
1942(昭和17)年3月 第16師団(京都)に転属。
1942(昭和17)年4月 第2次バターン作戦攻撃に参加。
1942(昭和17)年5月 コレヒドール要塞敵前上陸作戦に参加。戦後、マニラ付近の警備任務につく。
1942(昭和17)年9月 第17軍隷下配属となり、マニラ港出発。
1942(昭和17)年10月 ガダルカナル島・タサファロング岬に上陸。以後のガ島戦に従事。
1943(昭和18)年2月 ガダルカナル島を撤退、ブーゲンビル島ムンダ地区に上陸。
1943(昭和18)年5月 ブーゲンビルからマニラ、台湾の陸軍病院に転院。
1943(昭和18)年8月 台湾から広島、盛岡、秋田の陸軍病院に転院。
1943(昭和18)年11月 治癒、退院。
1944(昭和19)年6月 第105連隊(弘前)第3大隊第3機関銃中隊に転属。
1944(昭和19)年6月 宇品着。独立歩兵第379大隊(盟兵団 秋田部隊)付。
1944(昭和19)年7月 宇品からフィリピン・マニラに上陸。リンガエン湾水際陣地構築に係わる。
1945(昭和20)年1月 米軍、リンガエン湾に上陸。
1945(昭和20)年8月? 米軍の捕虜になる。
1947(昭和22)年1月 マニラ港出港、名古屋港上陸。復員。

太平洋戦争緒戦のコレヒドール作戦、そしてガダルカナル島作戦、さらに、戦争末期のリンガエン湾戦およびルソン島の戦いに参加されています。正直言って、生きのびたのが不思議なくらいの戦歴です。
まさに「生きている戦争の証人にふさわしいのですが、残念なことに、岩手弁の方言が強く、入れ歯のかみ合わせも良くないようで、私にはその証言の大半が聞き取れませんでした。ビデオテープには収録しましたが、聞き返してどれだけわかることか・・
軍や師団を転々としているので、部隊で戦跡を追っていくことが困難です。ガ島戦では上陸したのが、第17軍司令部と同じなので、軍司令部の直轄だったのでしょうか。
戦史叢書などでチェックしたいと思います。

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