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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
8月24日(火)午前、北海道チーム第1班が伺った証言の概要です。

◆◆◆

◎本間 金吾さん 
1924年(大正13年)3月30日生
1940年(昭和15年)10月1日 志願
飛行兵 操縦
飛行第87戦隊

飛行機に乗ってみたい。とにかく早く乗りたい。
若いうちにと思い、志願。
試験は2万人から2千人合格というもので、見事合格。
陸軍航空学校に1年間訓練、勉強。
1941年(昭和16年) 宇都宮で即席で教育。
1942年(昭和17年) 操縦訓練。
第三航空軍配属、台湾上空で訓練。
九七式戦闘機で半年間搭乗訓練

高尾から船でシンガポールへ。
第一野戦補充飛行隊29名 パレンバン、ジャワ、マランで訓練。
29名のうち自分も含めた5名が87戦隊に配属。
搭乗機は二式単座戦闘機 鍾馗。

メナドのベラ湾の防空も経験。
P-24が偵察していたが、上空で遭遇したことはない。
日本軍のレーダーの性能が悪かったので、迎撃命令の誤報が多かった。

1945年(昭和20年)1月 英国機動隊がパレンバン100キロくらいまで進出。艦載機が攻撃をしかけてきた。
情報が遅く、迎撃にあがってすぐに敵機と遭遇。高い位置を取ることができなかった。ロッテも組めなかった。
ただ、敵の練度は低く、後ろをとっても気づかない。
5日後に再来襲。製油所と飛行場を攻撃してきた。グラマン、コルセア、アベンジャーと空中戦。下は製油所が火の海で、煙が3,000メートルまであがっていた。
11名戦死。1日2回出撃があった。上官が飛行機の被害を受けて、本間さんの機で出撃をして、帰ってこなかった。

1945年(昭和20年)8月13日 シンガポールのケチル飛行場に着任。
友軍機が上空を旋回して着陸を支援。無事に着陸。掩体にすぐに飛行機を隠す。任務は特攻機の援護。
8月14日敵空母発見できず、特攻隊員は出撃せず。これでこの人達は助かった。
8月15日 玉音放送を直接聞いた。
シンガポール周辺の島に部隊全員で道路作り。食料は少ない。英国軍人とはあわなかった。栄養失調のものがほとんどだった。

1946年(昭和21年)6月船で帰国。

本間さんの豆知識
〇パラシュートは水平飛行のときは開かない。
〇ムスタングとも戦ったことがある。
〇艦船攻撃の訓練もしたことがある。
〇パイロットの事故は多かった。離陸してすぐに爆発、夜間飛行で帰ってこない人もいた。
〇本間さんも事故を起こしたことがある。メダンの飛行場で前のめりになったことがある。翼も尻尾もなくなったが助かった。
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