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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
北海道チームが8月23日(月)の午前中に行った聞き取りの内容です。
この日は北海道チームが唯一2手に分かれずに行動しました。(午後は収録会)
参加メンバーとしては、とても高級なお寿司をごちそうになったことが印象に残っているようです。

◆◆◆

◎小田 淳男さん
1922年(大正11年)5月23日生まれ
1943年(昭和18年)臨時召集
第7師団 25連隊 歩兵

○1943年(昭和18年)4月より初年兵教育開始 兵役検査時には耳が悪く第二種乙種となり、第一乙種に編入。臨時召集により召集入隊。
・10月1日陸軍一等兵に進級。
幹部候補生要員として毎日消灯後、午後9時から10時ごろまで勉強をした。
臨時召集兵であり、耳も悪いため幹部候補生は駄目なことは分かっていたし、教官にも言われていたが、試験だけは受けさせてもらえた。
試験不合格。あらかじめ分かっていたことだからショックはなかった。

・その後すぐに半田国境でソ連国境最前線で警備の任務につく。

○1944年(昭和19年)3月上敷香第三中隊に戻り、初年兵教育の教育助手の命じられる。
・4月上等兵に進級。
・10月兵長に進級。

○1945年(昭和20年)4月1日 伍長に任官。
・5月上敷香に帰還。
・8月8日 ソ連軍 満州樺太に進軍開始。
・8月13日 落合より列車にて北眞岡駅到着。
名寄‐久春内でミグ戦闘機の攻撃を受けるも被害なし。

・14日上恵須取着 陣地構築。
・17日ソ連軍爆撃機7機 上恵須取爆撃市街壊滅。
・18日ソ連軍より武装解除の要求。日本側拒否。
内路山には日本軍陣地があるとのことで移動を開始。
・22日内路山はすでに敵戦車により蹂躙されたとの情報あり。
豊原にて師団命令を受けんと移動開始。
・24日武装解除が師団命令と判明。武装解除。ソ連軍捕虜となる。

強制労働。

○1946年(昭和21年)12月帰国
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