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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
70年前の昨日、1946年7月29日のことです。
憲法改正の小委員会で、第9条についての修正案が提示されました。芦田均委員長の名前をとって、「芦田修正」と呼ばれています。

日本国憲法第9条は以下のようになっているわけですが。

第2章 戦争の放棄
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕第9条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この第2項の「前項の目的を達するため」という部分を挿入したのが、芦田修正です。
「前項の目的」というのは、国際紛争を解決する手段のために武力を行使することであり、自衛のための武力を持つことはその限りではないという意味を持たせたものであるということです。
いかなる武力も持たないのではなく、限定条件をつけた形です。

これは、GHQや極東委員会に受け入れられるのですが、いずれもこれが日本が「自衛力」を持つことを明確にするものだと認識しました。
それで、GHQは極東委員会の要請を受けて、「国務大臣はすべてcivilians(文民)たることを要する」という「閣僚のシビリアン要件」を指示します。それを受けて、第66条第2項に、内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならないとする条項が加えられることになるのです。

芦田修正が加えられても、政府は、第1項が侵略戦争を否定するものであって、自衛戦争を否定するものではないが、第2項が戦力の保持および交戦権を否定する結果として、結局、自衛戦争をも行うことができないことになるのに変わりはないという立場をとってきているようです。(この辺、国会図書館の電子展示会「日本国憲法の誕生」に書かれています。)
GHQや極東委員会でも、もともと、国の「自衛権」というのは自然権であり、ことさら明記すべきものではないと、考えられていたという見方もあるようです。そこに芦田修正が入ったことで、むしろ内容が曖昧になったという説も見かけました。
憲法に「戦争放棄」条項を入れようとマッカーサーに提案したのは幣原喜重郎だったということですが、幣原は、自衛のため、特に大戦の勝者である連合国の今後の戦争に日本から戦力を出さないためには戦力を持たないことが有力だと考えて提案していたという話もあり、芦田修正が後に芦田均との確執の原因になったという話も。
その少し前に、「憲法9条は自衛戦争も放棄するもの」と答弁した吉田茂も含め、思惑はいろいろあったのでしょう。

そんなこんなで、「戦力」を保持しないということには変わりないため、自衛隊は「自衛力」ではあっても「戦力」ではないという位置づけで長らくやってきたわけです。いろいろな「解釈」を試みながら。
昨今、憲法そのものを変えてそこに直接修正を加えようという話がでてきている状況というわけでしょう。

最近、沖縄の東村高江でヘリパット建設に反対する住民に対し、東京・大阪・福岡から機動隊が投入されたというのを見ていると、「国際紛争を解決する手段として」ではない力が、国民の一部に向けて発動しているような気が、個人的にはしているのですが。(今回の機動隊は「自衛力」とは呼ばないと思いますが、自衛隊はもっと何年も前から、沖縄の基地反対運動をする住民に向けて動員されています。)
大阪で沖縄戦展をやり、これから中之島公会堂での証言集会をひかえているところ、偶然の一致としてはかなり強烈だなと思ったものです。私は福岡に行ってきたところでしたし。
というのは余談です。憲法9条の成り立ちには、日本側の思惑が様々にあったらしいということが、今日の本題でした。
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