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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
ひきつづき、メーリングリストより、北海道チーム第2班が伺った証言の概要です。
「その2」となっていますが、「その1」は、25日・26日分まとめた報告になっています。
8月26日(木)の聞き取りです。


◆◆◆

本日、私は旭川に移動、藤吉貢さん・91歳のお話を伺いました。
やはり先日の新聞記事でのご連絡で、札幌から帰京のつもりでしたが、一木支隊の言葉につられて列車に乗ってしまいました。

何と20日にリーダーSさんが聞き取りをした大国さんと同じ中隊でしたが、大国さんは中隊付き衛生兵、藤吉さんは中隊伍長と、立場が違うと随分視点は変わるのだと思いました。

◆◆◆

◎藤吉貢(みつぐ)さん
1919(大正8)年1月12日生まれ

1940(昭和15)年3月1日 現役
 第7師団歩兵第28連隊第1機関銃中隊
同年5月 下士官候補生に
  10月 第2機関銃中隊へ
   内地での訓練を重ねる

◇1942(昭和17)年5月 宇品発
○当初はミッドウエイ諸島に上陸の予定だったが海軍の大敗を受けとりあえずグアム島へ、2か月ほどグアムで過ごす。
○8月初頭、内地帰還命令が出て出港するが、ガダルカナルの飛行場が占拠されたとの報が入り急きょグアムに引き返す。

◇同年8月12日 トラック島へ。
 一木支隊第2梯団に分団される。
○第1梯団は駆逐艦で出港、第2梯団は郵送船で向かう。
○丁度命令受領で甲板にいたときピカッと閃光が見え空襲、船は左に急旋回し船尾横20メートルに爆弾が落ちた。
破片が船内に入り多少のけが人が出たが死者は出なかった。
○一度ショートランド島に向かい再度出港するも潜水艦攻撃で引き返す。駆逐艦に乗り換えて向かうが、空襲が激しく引き返す。
3度目は夜間、駆潜艇で。

◇同年8月31日 ガダルカナル島タイボ岬に上陸。
○翌朝飯盒炊爨の煙にさっそく激しい空爆。
散会して第2次攻撃まで待つことに。

◇同年9月13日 第2次総攻撃。
○当初渡されていた食料は1週間分弱で、このときすでに兵は何も食べていない状態になっていた。
○重機関銃中隊は正面の米軍の重機関銃中隊と撃ち合う。
えいこう弾は周りにも落ちたが、本当の銃弾は頭を通りこえ実質の被害はあまりなかった。
しかし後ろのジャングルは高い木がすっかり無くなっていた。
被害はさほどでなかったが、一晩で持っていた弾が全てなくなり戦えなくなった。

◇川口支隊との合流を目指す。
○アウステン山の中腹を歩いて移動。皆ほとんど絶食状態でマラリアも流行。何百メートルも歩けずに小休止を繰り返す。自決者、落伍者がどんどん出た。
移動距離は直線では15キロほどだったが2週間かかった。
○重機関銃、速射砲はこの体力では運べないと判断しジャングルに埋めた。
○水たまりに手榴弾を投げ込みとれた魚は頭も骨も尻尾もなく食べた。
トカゲは1メートルの大きなものが取れ皮をはいで生で食べた。
小銃隊ではわにを食べたものがいるが自分はわにには会わなかった。
川沿いの植物を探したが石に苔がついているだけ。
ビンロジュは味もあり、水をしゃぶった。
イギリス人が飼っていた豚や牛は銃で撃ち殺し生で食べた。
鶏もいたが動きが早く獲れなかった。
○マッチは水でダメになったが、ヤシを拾うと繊維で縄をない棒で火を起こした。
ヤシのコプラは石鹸の材料にもなるもので乾燥させくべると火力が強いのに煙が出ない。
○合流したとき掌にひとすくいの米をくれた。そのおいしさは生涯忘れない。
自分もそうなのだろうが周りのだれの顔を見ても骨と皮ばかりだった。

◇同年10月第3次総攻撃。
○そもそも一木支隊はほとんど生き残りがおらず武器も持っていなかったが、病死や餓死の死体はいくらも転がっていたので、そこから銃や弾を取った。

◇同年12月31日 撤退決定。
○散発的に銃を撃ってまだいるように見せながら撤退を始めた。
地面は砂地で歩きにくい。
歩けなくなるもの、死体だらけで、それにつまずきながら移動。
いたるところ死臭がたえまない。

◇1943(昭和18)年2月7日 第3次撤退。
○カミンボからの最後の撤退で脱出する。
○ダイハツから縄梯子で駆逐艦に上がるが揺れる梯子を上がれず何人も海に落ちた。それを拾うことはできない。
○ブーゲンビル島へ、見習士官と二人で各中隊関係者を呼び、戦病死者の名簿を作った。

◇同年5月ブーゲンビル島出発 7月内地帰還。
○ガダルカナルのことは誰にも言わないように船の中で厳命された。
○皆マラリアで入院、藤吉さんは比較的軽く2か月で退院、原隊復帰

◇1944(昭和19)年2月
○道東防衛の命で北見、さらに網走へ、トーチカ建設などにあたる。

◇1945(昭和20)年8月15日 敗戦
残務処理にあたり9月22日復員。

※戦後しばらく第7師団の跡地には兵士の亡霊が集団であらわれるという噂が絶えなかった。
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