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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
祖父の軍歴表はまだ見つけていませんが、5月27日あたりのことを。
1946年5月22日の吉田茂内閣成立(内閣交代)に伴い、枢密院に提出されていた憲法改正草案は一旦撤回されました。
5日後の5月27日、若干修正が加えられたものが改めて諮詢されます。
そして、5月29日から枢密院、草案審査委員会が再開されます。6月3日まで3回開かれたということです。
4月22日からの1ヶ月の間に8回開かれており、その間にだいぶ審議が進んでいたということでしょうか。6月8日には、枢密院本会議で可決します。再審議が始まってからはけっこうあっという間です。

選挙が行われても、極東委員会は憲法改正への関与の意思があったようで、4月10日の投票日には、憲法改正問題に関する協議のためにGHQ係官を派遣するようマッカーサーに求める決定をしていました。米国代表を含めて全会一致での決定だったようです。
これを、5月29日、マッカーサーは拒否します。
すでに日本では憲法改正案の審議は進んでおり、今からいろいろ言われても困るという状況になっていたのは確かでしょう。「若干の修正」で審議の続きが始まったのはその表れといえそうです。
憲法改正案を長く練ってきた幣原喜重郎はもともと吉田茂に推されて首相になっていたということもあり、党派が違っても基本は同じ方向性を維持した面もあるでしょう。
ただ、国内にも、憲法改正の審議は帝国議会ではなく特別の機関を設けて行うべきという主張もあったようです。(民主主義科学者協会等)

6月20日から、審議の場は帝国議会に移ります。
沖縄戦の組織的戦闘終結から約1年後です。
5月27日からというと、1年前は沖縄戦が南部に展開していった時期でした。昨年はその辺りのことを書いていました。
また、1945年5月末には、マッカーサーが日本本土上陸作戦の準備命令を出しています。
そのころには、どのくらい、日本の民主化を計画していたのか。・・・もっと余裕ができたら調べてみたいものです。
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