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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
ゴールデンウイークから、告知することが多くて、しばし「大戦とその前後」の間が空いてしまいました。
参考にしている国会図書館の電子展示会「日本国憲法の誕生」では、4月までに比べるとやや年表の項目が減ってきますが、まだ日々いろいろ起こっています。

70年前の今日、1946年5月22日、第1次吉田茂内閣が発足しました。
幣原内閣が総辞職してから1ヶ月、新内閣成立までには、紆余曲折がありました。

本来は、4月10日の選挙で第1党となった日本自由党総裁の鳩山一郎が首相となるはずでした。
4月30日には、鳩山は日本自由党単独組閣の方針を決定。
ところが、5月4日、GHQから鳩山の公職追放が政府に通達されます。
内閣によるロンドン軍縮条約の論議を「天皇の統帥権の侵害」と批判したり、若月内閣のときに東條英機らに倒閣を持ちかけたりしたことが、軍部の暴走を許し、軍国主義の台頭に協力したとみなされたのが主な理由であるようです。
また、戦前の立憲政友会総裁の時代に、ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーの行政政策を成功と言ったことも理由の一つであるらしいのですが・・・そういえば、近年そういう発言をした大臣がいた気もします。
それはさておき。
鳩山の公職追放で、急きょ別の人物を総裁に立てることが必要になりました。

最初候補として挙がったのは、古島一雄と松平恒雄でしたが、古島は高齢を理由に拒否。(翌年亡くなります。)松平の説得にあたったのが吉田茂で、説得は成功の兆しを見せていたのですが、途中で鳩山が考えを変えて、吉田を総裁に推します。今度は吉田が再三にわたる説得を受けて引き受けました。
しかし、総裁を引き受けるにあたりわがままな条件を出したため、その後鳩山との関係は悪化したということです。ただ、鳩山の公職追放が解けたらすぐにでも政権を渡す、とも言ったようです。

かくして、5月14日、吉田茂、日本自由党総裁就任を受諾。5月22日に内閣成立となるのです。
大日本帝国憲法下の天皇組閣大命による最後の首相であり、選挙を経ていない非衆議院議員最後の首相ということになります。(翌年廃止される貴族院議員でした。)
新内閣の成立により、枢密院に諮詢中だった憲法改正草案が一時撤回となるのは、以前書いたとおりです。
5月27日に、修正を加えたものが改めて枢密院に諮詢されることになります。
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