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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
繰り返し出てくるので、もういいかなと思いつつ、これは今年にしかやらないと思うので、書いておきます。
1946年2月18日にホイットニー民生局長から、GHQの憲法改正草案受け入れについて48時間以内に返答するよう求められていましたが、実際には遅れること2日、2月22日の閣議で受け入れが決定されました。
それまでの間に、マッカーサーにGHQの草案についての意向を確認等していたようです。

2月22日、松本委員長、吉田茂外相とその側近の白洲次郎(当時の役職は終戦連絡事務局参与)の3人がGHQを訪問、ホイットニーらと会見し、受け入れの表明をします。
その日のうちに、昭和天皇にも事情説明が行われます。

この前後でポイントになるのは、白洲次郎です。
松本案が否定され、GHQ草案を手交されたことに対し、2月15日、ホイットニーあてに松本案再考を求める意図の書簡を送っていました。目指すところは同じであるから、今は日本の現状に即した松本案を、といった内容だったということで、「ジープ・ウエイ・レター」と呼ばれています。
ホイットニーは、翌日それに反論する返事を出し、GHQ草案に沿ったものとするよう求めます。
22日に会見したときには、受け入れの表明をしつつ、GHQ草案の中で変更してはならないところについて問い直しました。
GHQ側の返答は、GHQ草案は一体をなすものであるから、字句の変更等は可能だが、その基本原則についての変更を認めないというものでした。
それを踏まえて、GHQ案に沿った形での日本政府案の作成が始まることになります。
白洲はGHQ案の翻訳にも携わっていました。
wikipediaには白洲の発言が紹介されていますが、このときの憲法改正をめぐる内容がけっこう出ています。
日本政府案を作成するにあたっては、GHQからの押し付けであるということを強く意識しており、天皇の立場等を曖昧にまとめていると皮肉りながらも、戦争の放棄といった理念については圧巻で、押し付けであるかどうかは関係ないというような発言をしているようです。
米国でさえ成立しないような法規にしようと夢中になっていたような内容もありました。
占領下で米国にはっきりと抵抗しながらも、GHQ草案をたたき台に、米国以上のものを作ろうとしていたようでもあります。
とりわけ、下記の発言は含蓄があります。

「私は、“戦後”というものは一寸やそっとで消失するものだとは思わない。我々が現在声高らかに唱えている新憲法もデモクラシーも、我々のほんとの自分のものになっているとは思わない。それが本当に心の底から自分のものになった時において、はじめて“戦後”は終わったと自己満足してもよかろう」

昨年は、戦後70年に全国的に向かい合いましたが、この言葉を見るともう一歩踏み込んで向かい合いなおすべきなんではないかと思えてきます。
鵜呑みにするのも問題あるでしょうが、あの大戦を考える意味や戦後とはなんぞやということについて、この発言に何かものすごいヒントがあるような気がしました。
とはいえ、wikipediaの記述で分かった気になってはまずいですから、もっと資料にあたってみねばと思います。
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