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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
「第4回 あの戦場体験を語り継ぐ集い」登壇者特集です。
第1部登壇順に、登壇者の方を紹介しつつ、日比谷証言集会を振り返ります。
登壇者13人目は、特攻基地に向かう途中終戦、信太正道さんです。

信太正道さん

信太正道さん

スクリーンの画像です。
信太正道さん 信太正道さん ご家族と


1942(昭和17)年、海軍兵学校に入学。(第74期)
1945(昭和20)年3月、海軍兵学校卒業。最後の卒業生。
同期の1000人のうち、特に優秀な50名は戦艦大和に配属される。
7月、海軍少尉に任官。翌日神風の指命式が行なわれ、200名のうち36人が選ばれ、「神風特別攻撃隊古鷹隊」が編成される。信太さんもその1人です。
さらに翌日、たまたま面会に来た両親に会い、特攻隊に選ばれたことを告げると、父は「そうか」とだけ答え、母は「断ることはできないの?」と泣き崩れた。
2週間にわたる体当たり訓練をする日々の中で、繰り返し悪夢を見る。
8月12日、遺書を書かされ、お国の為に死ぬということを書くが、本心ではなかった。
訓練地の千歳から出撃基地の茨城県百里原基地へ向かう途中、仙台駅前で玉音放送を聞き、敗戦を知る。
みんな悲しそうにしつつも、安心していた。
9月に復員すると、母は「生きている!」と泣いて喜んだ。

戦後は、京都大学経済学部卒業後、海上保安庁、海上警備隊、航空自衛隊をへて、1958年、日本航空入社し、1963年から1986年の退職まで機長を務められたということです。海軍少尉となっていたため、国家公務員上級試験に合格するも公職追放でご苦労されながら、仕事をされていたとのこと。
海上保安庁の掃海部として朝鮮戦争で掃海に出たり、日航の機長時代にベトナム戦争に向かう米軍機とニアミスしたりと、戦争を近くに感じることがたびたびあったようです。
そうした経験から、「戦争屋にだまされない厭戦庶民の会」を立ち上げられ、特に神奈川県では有名人でいらっしゃるようです。

保存の会とは、普段は特に接触はないようで、今回登壇されることになったのは「意外」だとみんな言っていました。私もお会いしたのは初めてだと思います。(もしかしたら、私が保存の会に参加し始めたころ交歓会の受付でお会いしていることはあるのかもしれませんが)
そういうわけで、今回もネット上からプロフィールを探しました。
日比谷証言集会当日のお話は、特攻隊に指名されてから訓練中の悪夢のこと。だいぶピンポイントで原稿をご用意されていました。
その分、写真にもありますが、壇上で、ちゃっかりご自身の著書の宣伝をされていました。
戦後のお話もだいぶ濃厚そうですし、詳しく知りたいという方は、著書を探してみられることをお勧めします。
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