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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
「第4回 あの戦場体験を語り継ぐ集い」登壇者特集です。
第1部登壇順に、登壇者の方を紹介しつつ、日比谷証言集会を振り返ります。
登壇者3人目は、ビルマ方面の戦闘に参加されていた中國義さんです。

中國義さん

中國義さん

スクリーンの画像です。
中國義さん

第55師団歩兵第143連隊所属。
1941(昭和16)年11月の夜、徳島を出発。行く先も告げられず、船の中で過ごし、仏印(今のベトナム)に到着。
同年12月8日、太平洋開戦時、タイへ上陸。平和進駐という名目での敵前上陸。
水中で撃たれて左腕を負傷。しかし、運んでいた車輪を置いて上がるわけにはいかず、車輪を抑えて首だけ出して死んだふりをしていると、1日たって迎えが来た。
1942年1月、ビルマに侵攻。日本軍は半年ほどでビルマ全土を制圧する。先頭になるとだいたい向こうが逃げてくれた。
1944(昭和19)年インパール作戦に伴い、143連隊はビルマ南西部で敵をひきつける陽動作戦につく。すぐに補給が途絶える。
1945(昭和20)年4月、インパール作戦が失敗し、敵がラングーンに迫る。決死の退却。ペグー山脈、シッタン河。どんどん戦友が力尽きていく。自決する者も。
シッタン河を渡って間もなく終戦。

四国、徳島県からのご参加です。
陸軍の方の太平洋開戦から、ビルマ戦線の全体を体験してこられました。
当日のお話はインパール作戦失敗以後を中心に。登壇表明からすぐに、3分以内で読み終える短い原稿をご用意されていましたが、他の方の原稿を見て「もう少し話していいかな」と、もう少し前の戦線からお話されました。
長距離移動は車いすですが、当日は演壇の前に立ってお話されています。
一緒に付き添って壇上に上がられたお孫さんはじめ、ご家族が大集結。
生き残ってこられてこその戦後の人生の象徴が、舞台裏や客席にもあったのです。

生き残る、という強い信念を物語るエピソードが、保存の会公式twitterで少し出てきます。
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