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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
「第4回 あの戦場体験を語り継ぐ集い」登壇者特集です。
第1部登壇順に、登壇者の方を紹介しつつ、日比谷証言集会を振り返ります。
登壇者2人目は、元偵察機パイロット青木蔵男さんです。

青木蔵男さん

青木蔵男さん

スクリーンの画像です。
青木蔵男さんスライド

1938(昭和13)年、海軍に志願。横須賀海兵団に通信兵として入団。
海軍通信学校卒業後、駆逐艦「潮」に乗艦。
1940(昭和15)年1月、第49期偵察練習生として鈴鹿海軍航空隊に入隊。9ヶ月間射撃、爆撃、通信、航法などの教育を受けました。
偵察練習生を卒業後、館山海軍航空隊、大村海軍航空隊を経て同年12月、第11期中攻講習員として木更津海軍航空隊へ。96式陸上攻撃機に搭乗。
1941(昭和16)年12月に南鳥島へ進出。ここで12月8日を迎え、真珠湾攻撃後の哨戒にあたります。
1942(昭和17)年10月、第6海軍航空隊の所属でラバウルに進出。当初陸上偵察機に乗っていましたが、96陸攻の輸送機型が配属されてこれに電信員として乗ることになりました。
1943(昭和18)年4月18日、山本五十六長官機撃墜。このとき、長官機に乗り切れなかった人員を乗せ、長官機に続いてブインに飛んでいました。しかし、先に飛んだはずの長官機は着いておらず、やがて撃墜されたという情報が入ります。長官機の生存者も乗せてラバウルへ戻ると、山本長官撃墜の件は決して口外しないようにと緘口令が出ます。
1944(昭和19)年4月、希望を聞かれ第一線残留希望を告げたところ、逆に内地へ転勤することに。
1945(昭和20)年、三沢基地で終戦を迎えた後、8月29日、大湊の参謀長を乗せて三沢から横須賀まで飛んだのが最後の飛行となりました。

熟練の航空兵という経歴。さらに山本五十六長官撃墜のとき、最も近いところにいらっしゃったことになります。
当日の証言は、やはり全体を通した内容。入りきれなかったエピソードがまだまだたくさんあるはずです。
壇上でも、さすがの堂々としたお話ぶりでした。
一方、開演前の舞台裏では、若手ボランティア相手にニコニコお話されていたようです。

青木さんの経歴やエピソードは、保存の会公式twitterにつぶやきがありますので、そちらもご覧ください。
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