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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
9月20日(月・祝)に、帰還したばかりの信州・北陸チーム番外編(長野)に聞いた内容をお伝えします。
また聞きですので、多少曖昧なところもあります。聞き取りを行った本人のレポートも、後ほど上がってくると思いますので、正確なところはそちらをご覧いただければと思います。

◆◆◆

◎宮原義彦さん 93歳

○1936(昭和11)年、志願。
 騎兵第1旅団機関銃中隊。満州ハイラルへ。
○1938(昭和13)年、北支に。徐州作戦終了後に合流、戦闘参加。
・騎兵の旅団ではありますが、ご本人としては、騎兵隊ではなくあくまで機関銃の部隊に所属していたという感覚なのだそうです。
・満州・中国での戦闘では、機関銃を撃てばすぐに敵は逃げる。国民党軍よりも八路軍の方が勇敢だという印象を受けた。(この辺は、部隊によって感覚が違うもののようです。)機関銃の部隊にいるというのは、装備として心強いものがあった。
○補充馬廠に転属。
・中国の部隊が機械化されてきたため、1600頭いた馬を南方(仏印)に譲ることになり、その任務を行う班長に任命される。400頭ずつの4班になり、そのうちの1つの班の班長。他の班の班長は尉官だったが、自分だけが、「お前ならできる」と言われて下士官の立場で班長に任命された。
・1つの班の人数は、現地で雇い入れた人員を含めても総勢20~25名。その人数で、蒙古の奥から仏印の国境まで6500キロを飲まず食わずで馬を400頭移動。基本的には沿岸部を舟で移動するが、馬を舟に載せたりおろしたりするのに苦労した。船の上、陸上を問わず、終始馬の世話に忙殺されて、ろくに食事をとる暇もなかった。(食糧がなかったわけではない)
・陸上で夜間、現地の中国人を雇って馬を移動させていたとき、暗いために監督ができず、いつの間にかその中国人が逃げてしまっていたことがあった。当然、彼らに引率されていた馬は逃げてしまっており、1頭1頭探してくることになった。現地には軍馬のような大きな馬はいないので、住民に馬を見なかったか聞いて回ると、だいたい情報が得られたのが不幸中の幸いだった。
・他の班では、100頭の馬がいなくなり見つからなかった(おそらく盗まれたのだろう)ために、班長が進退伺を出して内地に帰されたということもあった。
・目的地の近くまでいったところで、本来馬を渡す相手ではない部隊に馬を25頭取られてしまい、自決しようとしたが、獣医のはからいで事態が収まった。
○その任務の後、体を壊し、飛行場勤務の事務官になる。毎日大量の文書を整理することになり、それはそれで大変だった。
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