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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
8月も最終日となりました。
戦後70年の8月が終わります。

あんまりいいことではないかもしれませんが、新聞も取っていないしテレビも持っていない私の場合、この夏の戦争報道に世間一般程触れていないはずです。
常にそれらに囲まれている事務局メンバーは、「吐くほど戦争特集をやっている」と表現していました。
もっとも、私も、チラシを置いてもらうためにいろいろな市区の資料館や公民館を回って戦争展を見たので、そういう方面では自ら戦後70年の発信に踏み込んでいった面はあります。当ブログを書いているために、毎日必ず戦争のことを思い出す生活ではありますが、この夏は何かものすごいものを抱え込んだような気がします。

あの大戦を、様々なところで見つめなおした年。
それだけ取り上げられて然るべきだというのは間違いありません。
ただ・・・と、言わんとすることはおそらくわかると思いますが。
これが夏の終わりとともにすーっと引いていくのではないかと、私は危惧しています。
戦後70年は確かに大きな節目の年であり、分岐点であるでしょう。
それが、「最後の花火」のようになってはならない。そう思います。

そういう意味もあって、日比谷証言集会は9月に設定しているのですが、これさえも、「最後の花火」に見えるようなことがあってはいけません。
おそらく、日比谷公会堂でこれだけの体験者の方が集まる証言集会を行うことは、最後になるでしょう。
しかし、だからこそ、ここから先のことを、体験者の方々といろいろな世代の若手が一緒に考えていく。そのための場だと思っています。
戦後の何かから脱却するとかそういうことではなく、どうやってもあの戦争の経験を土台に現在が作られているということを認めて、ことあるごとに向かい合うことが必要なのではないかと思います。吐くほど毎日山ほどでなくていいから。

昨日、登壇予定の方と原稿をつくるためにお会いしましたが、その方は「ご飯を食べようとするとき、必ずあのときのことを思い出します」とおっしゃっていました。
若手の多くは、そういうことを身をもって体験することはないでしょう。少なくとも、ご飯を炊く煙を狙って爆撃されることを恐れるようなことはないはずです。
だから、本当にその体験をわかることはできないけれども、少なくとも、その隔たりに向かい合うべきではないかと思うのです。
その方はまたおっしゃいました。「戦後70年特集をたくさん見たけれど、なんであんな戦争をしないといけなかったのかはどうしてもわからなかった」「あんな戦争をしたというのは世界中みんなわかってるのに、なんで今も戦争をするかね」と。
それは、日比谷公会堂で語られることはおそらくないだろうと思うけれども、その方の奥底から出てくる思いなのだと思います。
それに対して、歴史についての知識から少しは答えるけれども、そのどうしようもない軽さに気分のほうは重くなりました。
それでも、そのかんじを受け止め続けなければ。

個人的な感覚ですが、そう思いました。
なんだかんだ言って、結局この8月の終わりに感きわまっているのでしょうか。
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