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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
原爆の材料の要であるウラン235がテニアンに届いたのが、70年前の一昨日~昨日ぐらいということです。
それ以外の材料を運んだ重巡洋艦インディアナポリスが、70年前の昨夜から今日にかけての真夜中、日本の潜水艦伊58により撃沈されました。

特攻は沖縄戦で特に盛んに行われました。飛行機での体当たりの他、特攻艇や特攻用の潜水艦もありました。敵の弾幕をかいくぐるのは至難でしたが、特攻用の潜水艦回天を外洋で使う作戦は効果ありと判断されていたようです。
伊58潜水艦は、魚雷と併せて回天を搭載して、インディアナポリスがサンフランシスコを出たのと同じ7月16日、太平洋に向けて出航していました。インディアナポリスに遭遇する前に、タンカーの護衛をしていた駆逐艦に回天特攻で損傷を与えます。
そして、7月29日22:00を回って、インディアナポリスに遭遇、魚雷を発射。翌30日に入ったころ、インディアナポリスは沈没。(この辺りは、見る資料によって現地時間と日本時間が入り組んでいてつかみにくいです。)魚雷が命中しても沈まなければとどめをさそうと、回天搭乗員が出撃命令を求めていたという話もあります。

インディアナポリスは、太平洋戦争の主要な作戦にはほとんど参加しており、硫黄島や沖縄への砲撃も行っていました。
沖縄への砲撃中の3月31日、特攻機による攻撃でスクリューを損傷し、修理のためにアメリカ本国に戻っていました。そして、修理が終わったところで、原爆運搬の任務につくことになるのです。
任務を終えてレイテに向かう途中、伊58に遭遇して撃沈されたわけです。
このとき、敵に遭遇するとはまったく考えておらず、警戒は形式的なものになっていたといいます。(そのため、後に艦長が軍法会議にかけられ、有罪となります。)

沈没したインディアナポリスは31日にはレイテに着くはずとなっていたにもかかわらず、姿が見えないことに米軍は気づかず、8月2日になるまで、乗員は漂流することになったため、死者900名という、米軍艦船としては大戦中最大の犠牲を出すことになったのでした。

後から見れば、インディアナポリスは特攻作戦の中で撃沈を運命づけられた船のように見えます。
特攻作戦に出るより仕方ないほど追いつめられていた日本と、重巡洋艦1隻が見当たらなくても気づかないほどのアメリカという、対比がものすごい事件でもあります。

インディアナポリスの沈没から数日後、原爆投下は予定通り行われ、日本は降伏。終戦を迎えるわけですが、先勝に湧くアメリカに、最大の悲劇の知らせが届くことになるのです。

敗戦まで あと16日

2015年、日比谷証言集会まで あと52日
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