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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
70年前の今頃は、敗戦へ向けてのカウントダウン中、そして、原爆投下に向けてのカウントダウン中でもありました。
1945年、7月16日に原爆を爆発させる実験が成功し、いよいよ投下するための準備が始まりました。

7月20日から、「パンプキン」と呼ばれる模擬原爆の投下訓練を行っていきました。プルトニウム型原爆ファットマンに似せて作られた1万ポンドの大型爆弾です。(総重量約4.8トン。当時の通常の爆弾は1トン程度。)この訓練は、原爆投下候補地だった京都市、広島市、新潟市、小倉市の各都市の周辺、通り道になる都市を狙って行われたようです。
7月20日、24日、26日、29日、8月8日、14日の6日間で、30都市に計50個が投下されています。

基本的には工場や軍需施設を狙っており、実際に爆撃の効果を出しつつの訓練だったようです。
実はこの投下訓練は長崎に原爆を投下した後、8月14日にも行われています。これは、パンプキン爆弾自体を今後実戦で使うために威力を確かめる意味があったということです。そういう意味でも、工場や軍需施設を狙った訓練をしたのだといえるでしょう。
結果は、それなりに威力はあるものの、費用対効果がよくないということで、テニアンに残っていた分は廃棄されたといいます。

70年前の今日、7月24日には、愛媛県新居浜市、兵庫県神戸市、三重県四日市市、滋賀県大津市、岐阜県大垣市に投下されました。
なぜ今日この話を書いているのかというと、投下訓練の始まった7月20日はシッタン河渡河のことを書いたから、というのもありますが。
総務省ホームページの「一般戦災死没者の追悼」の、新居浜市の戦災のところに、パンプキン爆弾投下の全記録の表が載っているからでもあります。(苦笑)
そして、この日、原爆の投下予定地から京都を除くことが決定されたということです。代わりに選ばれたのが長崎でした。
明けて7月25日、広島市、小倉市、新潟市、長崎市を候補地とした原爆投下の命令書が出されることになります。

さらに、この「一般戦災死没者の追悼」新居浜市のページには、もし日本が降伏しなかった場合、3発目の原爆を投下する計画があり、新居浜市の住友化学の工場が標的だったということが書かれています。
完成した原爆は3発とも使い果たしていたけれども、新たに原爆を作るための材料は、プルトニウム以外テニアンにそろっていたとも。
新居浜市へのパンプキン爆弾投下は、本当にそこに落とすための訓練でもあったということです。

歴史に「あるいは」「もしも」はないのですが、原爆投下を巡って様々な可能性が渦巻いており、70年前の今日はその象徴的な日だったといえるかもしれません。

敗戦まで あと22日

2015年、日比谷証言集会まで あと58日

日比谷証言集会第2部シンポジウムのパネリスト栗原俊雄さんの著書『20世紀遺跡 帝国の記憶を歩く』には、模擬原爆の投下地についても書かれています。(2012年、角川学芸出版)
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