FC2ブログ
あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
今年もやってきました。今日は祖父の命日です。これも、ついに6回目を書くことになりました。
最近当ブログにたどり着かれた方もいらっしゃると思いますので、念のためお断りしておくと、祖父は戦死せずに帰って来て、2008年の今日亡くなりました。94歳大往生です。

しかし、もしかしたら、祖父の命日は70年前となっていた可能性はありました。
祖父は最初に軍隊に入ってから、だいぶ長いこと満州にいました。1914年生まれなので、1934年に20歳です。1934年3月に溥儀が満州国の皇帝に即位したころ、20歳の誕生日を迎えていたことになります。
それからたたき上げで少尉候補生というのになって、1945年の今頃には、少尉から中尉になるか、というところで、台湾にいました。
もし、終戦まで満州にいたら、ソ連との戦闘かシベリア抑留で命を落としていたかもしれません。
そして、もう1つの可能性、米軍が沖縄でなく台湾に上陸していたら、祖父の命日は、70年前の今頃だったかもしれません。

1945年5月27日、沖縄では、第32軍司令部が首里を脱出。南部への撤退を開始しました。
最後の時間稼ぎのために、住民を巻きこんだ最後の戦いに向かった日だったのです。
この日は、海軍記念日でもあります。日露戦争でバルチック艦隊を破った1905年の日本海海戦の日にちなんだ記念日です。当時40周年、今年は110周年ということになります。
海軍記念日にあわせて日本軍の大攻勢が行われると住民が信じていたという話を、沖縄戦関連の本でけっこう目にしたことがあります。
ところが、この日は、第32軍司令部が首里城を捨てた日となったのでした。

米軍が上陸したのが台湾だったとしたら、台湾でこういう状況が起こっていたでしょうか。

祖父は、急変してほぼ意識がなくなってから、農繁期が一段落するのを待つように亡くなりました。
しかし、実は待っていたのは今日だったのでしょうか。・・・いやいや、そんなことはなくて、偶然の一致でしょうが。むしろ祖父は苦笑いしそうです。
日比谷証言集会へのカウントダウンで70年前を振り返りまくっている中、また、沖縄戦展準備で毎日沖縄戦のことを考えている中、今更気づいてしまった偶然の一致です。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://senjotaikenhozontabi.blog2.fc2.com/tb.php/2087-83e9257a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック