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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
今日は子供の日ですが。70年前の今日、アメリカオレゴン州に、日本から飛ばした風船爆弾が落下。
ピクニック中の女性1名子ども5名がこれに触れて亡くなりました。

風船爆弾は、陸軍登戸研究所の主要な研究の1つです。
和紙をこんにゃくのりで固めた気球に爆弾を搭載して偏西風に乗せて飛ばすものでした。
当初細菌兵器を搭載することも計画されたものの、報復として相手側も細菌兵器を使ってくることを恐れて実現しなかったということです。
レーダーで捕えるのが難しく、米軍は迎撃するのに多大な労力を強いられたということで、この風船爆弾による被害は米国内でも極秘にされたそうです。そのため、風船爆弾の成果は、このオレゴン州での1件だけしかわかっていませんでした。
アメリカ本土では361発が発見されたと報告されていますが、実際には1000発ほどが到達したとも考えられているそうです。
そうしたもののうちの1つが、プルトニウム製造工場の送電線に引っかかって短い停電を起こし、結果原爆の製造が3日遅れたという説もあるようです。(予備電源により影響がなかったという説もあるようですが、ということは、プルトニウム工場に停電を起こしたことは否定されていないことになります。)
つい先日、首相官邸に小型無人飛行機ドローンが着陸して大騒ぎになりましたが、それと近い効果だったのかもしれません。
プルトニウム製造工場というのは、青森県六ケ所村にある核燃料再処理工場と基本的に同じものです。核燃料を扱う施設にとって電源喪失が致命的なのは、東日本大震災の福島原発を考えても明らかです。
確かに、日本軍にとっては知っていたらとても喜んだであろう情報であり、米軍にとっては隠すべき情報だったでしょう。

風船爆弾は、東京や名古屋の劇場や国技館に、女学生等を集めて製造されていました。
現在は有楽町マリオンになっている日本劇場、東京宝塚劇場、両国国技館等の窓をふさいで作られていたということです。
これらが、前年11月3日から1945年春にかけて、千葉県一宮他太平洋岸から計9000発あまり放たれ、一部は実際にアメリカ本土に到達したというわけです。

米軍は、下町や一般市民が日本の軍需を支えているということで、都市への無差別爆撃を行うようになったということですが、実際それなりの根拠があったことになります。

風船爆弾の製造に関わった当時の女学生の方々は、戦後5月5日の被害を知って心を痛められたとのことです。
意図したかしなかったかにかかわらず、戦争において民間人が民間人を殺してしまうという事態が起こり、どちらの側にも傷を残したのが明らかとなった例でもあります。
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