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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
70年前の昨日、米軍が慶良間諸島の座間味村に上陸、つづいて今日は渡嘉敷島に上陸しました。
70年目特集の頻度も上がっていますが、実際は、上陸作戦が始まってからは、毎日どこかで何かしら凄惨なことが起こっているのです。
沖縄は、住民もいたため、軍の戦闘と別のところでも犠牲が出ています。そして、国内のことということもあり、1つ1つの出来事について、いっそう詳細に注目されるという面はあるのかもしれません。
それだけ、地上戦が身近なところにあったということです。
保存の会は、まさに戦場にいた方々に焦点を当てている分、地上戦が近づいてくるのを人々がどう感じていたのかといった話にはあまり触れていないような気がします。沖縄でも、そのあたりのことは、まだあまり聞けていないのではないかと、たった今思いました。

空襲と地上戦の違いは、人と人とが殺しあうことの生々しさ、というところにあるのかもしれないと思います。
殺しあうのは、敵同士で、とは限りません。
渡嘉敷島でも、翌28日に集団自決が起こりました。
座間味島では、一度集合しようとした住民が砲撃によって一度解散したことで、自決する場も分散していましたが、渡嘉敷島では、1000名ほどの住民が集まった場所で自決が起こりました。
その後、この場を離れた人たちの間でも、2度目の集団自決が起こっています。
集団自決は、しかし、この先も続く惨劇の始まりでした。
渡嘉敷島では、海上挺進第3戦隊が住民に対する統制を続けたため、住民は深刻な食糧不足となります。
米軍はそれほど積極的に島内での戦闘を行わず、やがて伊江島の住民を島々に収容します。
こうした中、日本軍による住民虐殺が繰り返し起こりました。投降勧告に行った住民、妻の出産のためときどき隊を離れていた先生等、スパイ容疑で殺されました。
最後の虐殺は、終戦後の8月後半、戦隊長投降の際に起こったということです。

この辺りの話は、2月の沖縄キャラバンで渡嘉敷島に行ったメンバーがある程度伺ってきています。
いよいよこの場所に敵がやってくる、という局面になると、住民の間にも殺し合いの惨禍が及んでしまうことを、沖縄戦はこれから3ヶ月にわたって体現することになるのです。
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