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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
1945年3月26日、硫黄島守備隊は、最後の総攻撃を敢行。バンザイ突撃ではなく、確実に敵の戦力を削るための夜襲で、米軍陣地を最後まで混乱に陥れての玉砕でした。
栗林中将も、階級章をはずしていたため、死体が判別できなかったといわれていますが、文献を当たると別の説もあるようです。
組織的戦闘はここで終了しますが、残った兵士たちによるゲリラ戦が続きます。
硫黄島の戦いは、事前に戦闘要員以外の住民を本土に疎開させていたため、住民を巻き込んだ地上戦とはなりませんでしたが、守備隊の中で、味方同士が水の奪い合いで殺し合いをしたという証言もあります。
生き残った方々は、それぞれ極限の体験をされていたのです。

そして、同じ日、沖縄では、米軍が慶良間諸島に上陸しました。
この日、座間味島、阿嘉島、慶留間島等、現在座間味村となっている島に米軍が上陸。
住民の集団自決が起こり、村民の1割が集団自決で亡くなったということです。
慶良間諸島は、特攻艇マルレの基地として準備されており、この上陸は予想外でした。特攻艇は自ら破壊し、その後は主に山中での戦闘が行われますが、部隊は当初予定していた玉砕を取りやめ、組織的戦闘はほぼ行われなかったようです。
山中に立てこもった兵士の中には、終戦後も2年ほど潜伏を続けた方もあったそうです。そのうちのお1人が、投降するのをやめて山中に戻られたときの状況を、一緒に投降しようとしていた方から、以前伺っていました。
座間味島には、住民、兵士とも戦争での死亡者の名前を刻んだ慰霊碑があり、今日はそこで慰霊祭が行われました。
座間味村の合同慰霊祭は5年に1度ということです。次回も体験者の方が参加されるのか、今から気になります。

今年は2月の沖縄キャラバン2015で、座間味島にも行っていました。
今の美しい島の様子を見ていると、当時の状況が一層生々しく感じられます。
一方、硫黄島は今も普通に行くことはできず戦争の島としてあり続けており、また違った生々しさがあるようです。本当は、一度は行くべきだろうと思います。

敗戦まで あと142日

2015年、日比谷証言集会まで あと178日
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