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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
今日の話は、大部分が私見です。

昨日書きましたとおり、昨年10月25日に、アウシュビッツ平和博物館を訪れていました。昨日は写真特集のようなかんじだったので、まずは少々感想を書きたいと思います。
メインのアウシュビッツについての展示棟では、展示の内容を語りにしたようなビデオを見ることができます。映像と解説が、展示室の写真とキャプションに対応するかんじです。先にビデオを見てから展示に移ると、一度頭に入った内容を、1つ1つ立ち止まってじっくり確認するような形になります。
ビデオでアウシュビッツで行われていたことを順に見て聞いていると、「冷徹」という言葉が自然に浮かんできました。
アウシュビッツ強制収容所は「絶滅収容所」と呼ばれているとおり、ある人々を皆殺しにすることが大きな目的となっています。労働力確保という目的は、どちらかというと奪えるものは全て奪うという目的の1つの表れのように感じました。ガス室で殺した人たちは、全身をくまなく調べて金歯や髪の毛等、何かの原料として使えるものは全て取ってから焼いていたということです。焼却する担当者も、抑留されたある種の人たちから選ばれ、定期的に殺して焼くという徹底ぶりだったとのこと。
ある人々を根絶やしにするシステムをつくり、それを淡々とこなしているという、おそろしく冷たいかんじがしました。

虐殺といっても、日本軍の三光作戦(「殺し尽くす・奪い尽くす・焼き尽くす」)は、どちらかというと、ある種の熱狂のようなイメージがあります。
ソ連の葛根廟事件や、沖縄戦末期の米軍の無差別殺戮(バックナー中将が殺されたことへの報復)も、熱のイメージで、アウシュビッツの場合とは違っているかんじがします。
それは、殺す理由が特定の人々の「絶滅」を意図したものではないからなのかもしれません。
そして、日本が占領地域で行った日本語教育、アメリカによる「民主化」政策、ソ連の「赤化教育」等、これらの国々では同化政策的な要素が強いためでもあるでしょうか。(ドイツも、フランス等で同化政策は行っていますが)

また、一昨日は、ソ連軍がアウシュビッツを解放した一方で日本人抑留を行ったと書きましたが、それは日本人を殺したいわけではなく、労働力確保という目的がほとんどを占めているので、本来は分けて考えるべきだと思っています。

歴史を見ていくときには、「虐殺」「抑留」といった言葉でまとめてしまわずに、それぞれの中身をよく見ていくことが重要ではないかと思っているのです。(一昨日書いた内容は、その辺りを曖昧にしている自覚があるので、ここで補足をしておきます。)

どれも、戦争というものを背景にした非人道的な所業であり、繰り返してはならないものだというのは確かだと思うのですが、1つ1つの内容に踏み込むことなく「やっちゃだめだよね」と結論するだけでは、本当に心に刻むことはできないのではないかと思います。
これは、一昨日自分自身が混同したような文章を書いてみて改めて感じたことでした。
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