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あの大戦から65年。その時兵士だった方々の体験をビデオに残そう。保存の会発全国キャラバン隊の歩み。
信州・北陸チームの旅も5日目(9月1日)ですが、ようやく本隊から連絡がきました。
昨日の夜も今朝もご飯を食べ損ねたということ。連絡が来たら来たで、やっぱり心配になってくるのですが、とりあえず無事に旅を続けている模様です。
順番に報告を上げていく予定なのか、初日の長野県佐久市収録会の報告です。
例によって、ブログでは、元兵士の方以外の名前は伏せた形にさせていただきます。

◆◆◆

ともあれ、全国キャラバン第4班_in 信州・北陸の中間報告を、長野から直江津&直江津から富山にむかう各駅電車からお送りします。

第一日目・朝

キャラバン第4班の初日は、長野県佐久市内三ヶ所での同時平行収録から始まりました。
8月15日付け信濃毎日新聞の事前記事効果により多くの証言のお申し出を頂きました。

東京からの出発は、元兵士の会・藤原さん、ボランティア3名(後に3つの班に分かれます)の4名。憧れの避暑地軽井沢を横目に佐久平に。よく整備されたきれいな駅でした。
そこでハーブ農園を営まれているSさんと、新聞社でインターン中のO君と無事合流。
それぞれの行く先に向かいます。

昼・佐久創造館へ

私が向かったのは、佐久創造館。
電話かメール一本で誰でも予約可能、書類手続き一切なし、しかも安くてスタッフの方が親切という素晴らしい施設。(写真は余裕無くて撮ってません)
入口で長野放送の取材班と合流。記者はうら若い女性の方です。

藤原さん、佐久のSさん、私の三人で慌ただしく会場準備。
合間に長野放送の取材を受けながら、収録会が始まりました。

取材報告(お一人目)

土屋豊一さん(大正10年生)。昭和16年3月入営、第14師団第11航空教育79連隊、第2航空通信小隊として満州牡丹江省寧安に派遣。以来五年間、大隊と戦隊間の通信の任務に就いていました。
普通は2年で帰れるはずが、米国との戦争がはじまり機会を逸したとのこと。
敗戦になり、飛行場にいた部隊はハルピン郊外に集結。近隣の集結地になっていたようで、続々とどことも知れない部隊が集まる。武装解除され列車に。15日くらいして「海が見えたぞ!」と喜んだらバイカル湖だった。
抑留されたのはタイシェット地区。最初の冬が酷かった。1、2月頃から死に始め、200人程いたと思うが3分の1くらいが死んだ。4月頃からは徐々に食料も改善しはじめ死者の数は落ち着いてきた。
骸は裸にして倉庫のような場所に置いておく。積み上げるものだから手足が捻れた形で凍り、雑巾みたいになっていた。

もうお一人の体験者は追ってご報告します。

◆◆◆

長野での4日間を終えて、語りたい体験者の方も、それを残したい後の世代もまだまだたくさんいらっしゃるのがわかった、とのコメントが添えられていました。
気力的には大変だけど、充実していたということです。
・・・本当に大変そうですが・・・後半もがんばってください。お疲れ様です。
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